2023年度外交・安全保障事業
- NEWコメンタリー
- 公開日:2026/03/12
「イラン情勢を俯瞰する―中東ユーラシアの視点から⑩」第3代イスラーム共和国最高指導者モジタバー・ハーメネイーとは何者か
MEIJコメンタリーNo.21
【イラン情勢を俯瞰する―中東ユーラシアの視点から⑩】
2026年2月28日に発生した米国・イスラエルによる対イラン攻撃と、その後のイランによる報復攻撃を受け、中東情勢は一段と緊迫している。こうした事態を踏まえ、本連続コメンタリーでは、「イラン情勢を俯瞰する――中東ユーラシアの視点から」を主題として、研究会の各委員がそれぞれの専門地域・専門分野から今回の情勢を分析し、その背景と影響を考察する。
「第3代イスラーム共和国最高指導者モジタバー・ハーメネイーとは何者か」
中東調査会 主任研究員 斎藤 正道
2026年3月9日、モジタバー・ハーメネイーがイラン・イスラーム共和国第3代最高指導者に選出された。選出したのは、88名のイスラーム法学者からなる専門家会議で、同会議は3分の2以上の賛成によって最高指導者を選出することができる。専門家会議は声明で、「圧倒的多数」によってモジタバーを最高指導者に選出したことを発表しているが、会議がどこでどのように開催されたのか、モジタバー以外の候補はいなかったのか、モジタバーを最高指導者に選出することに対する賛成・反対意見にはどのようなものがあったのかについては、まったく明らかになっていない。
2月28日にアリー・ハーメネイー最高指導者がイスラエル・米国の爆撃によって殺害されてから、モジタバーが新たな最高指導者に選ばれるまでの間、大統領(ペゼシュキヤーン)、司法権長(モフセニー・エジェイー)及び護憲評議会イスラーム法学者委員1名(アッラーフィー)の3名による暫定指導評議会が最高指導者の職責を代行していたが、タハーンナズィーフ憲法擁護評議会報道官は、モジタバーの最高指導者選出に伴い、同評議会の活動終了を発表した。
【モジタバー・ハーメネイー師とは誰か】
モジタバー・ハーメネイーは、アリー・ハーメネイーの次男で、西暦1969年9月8日生まれの56歳である。アリー・ハーメネイーには、モジタバーのほか、長男モスタファー(西暦1965/6年生まれ)、三男マスウード(西暦1972/3年生まれ)、四男メイサム(西暦1977/8年生まれ)、長女バシャリー(西暦1980/1年生まれ)、次女ホダー(西暦1981/2年生まれ)の6人の子供がいた。モジタバーをはじめ、4人の息子は全員イスラーム法学者であるが、いずれも公の場に出ることはほとんどない。
モジタバーは父アリーと同様、マシュハド生まれだが、その後テヘランに移り住み、同市のアラヴィー高校を卒業した。17歳(1986~87)のときに、イラン・イラク戦争に出征し、「ハビーブ・ビン・マザーヘル」大隊に所属した。このときに、彼は革命防衛隊情報機構長官となるホセイン・ターエブら、その後治安機関で要職を占めることになる人物と知り合ったとされる。
モジタバーはイラン暦1378年(西暦1999/2000年)、彼が30歳のときに宗教都市ゴムに行き、イスラーム法学をメスバーフ・ヤズディーらのもとで学んだとされる。彼が高校卒から30歳になるまで何をしていたのか知られていないが、このときまで神学校に通ったことはなかったらしい。彼が30歳という「高齢」になってからイスラーム法学の世界に足を踏み入れたことを考えると、彼のイスラーム法学に対する造詣の程度も想像がつくように思われる。
彼は同年、ゴラームアリー・ハッダードアーデル元国会議長の娘ザフラーと結婚した(これも、ハーメネイー家が伝統的な宗教的家族であることを考えると、晩婚といっていいかもしれない)。ちなみに、ハッダードアーデル元国会議長の別の娘は、金沢大学に留学した夫とともに、日本で生活したことがある(2人はその後、米国の大学に3年間在籍した)。モジタバーはザフラーとの間に3人の子供(息子2人、娘1人)を儲けたとされるが、彼らがボディガードらとともに、不妊治療のためにロンドンを訪問したとのゴシップ記事もある(ザフラーの父ゴラームアリーはこの報道を強く否定している)。
モジタバーは、兄弟たちとは異なり、最高指導者事務所の運営に「裏方」として関わってきたが、公的な地位に就いたことはない。同師の名が公に知られるようになったのは、アフマディーネジャードが大統領選に当選した2005年のことである。同じく大統領選に立候補したキャッルービー元国会議長がモジタバーの選挙への介入を告発したのである。また、モジタバーはイラン国営放送にも大きな影響力を有しているとも言われている。イラン国営放送のサルアフラーズ元総裁(彼は総裁就任後1年半で解任)は回顧録の中で、彼が敵対する政治関係者を貶めるためのスキャンダルの捏造に関わっていたと暴露している。
モジタバーには、欧州諸国やドバイにホテルなどからなる莫大な資産があるとの報道もある。『ブルームバーグ』によると、イラン人資産家で、「イラン・モール」開発プロジェクトの開始者であるアリー・アンサーリーがモジタバーの代理として、これらの資産を保有しているという。アンサーリーは革命防衛隊の資金協力者とされ、英国の制裁対象者となっている人物だが、同氏はモジタバーとの関係を強く否定している。
【モジタバー最高指導者への期待と不安】
彼の名がアリー・ハーメネイー最高指導者の後継候補として言及されるようになったのは、おそらく2010年代に入ってからだが、ハーメネイー最高指導者が息子のモジタバーへの最高指導位の継承に言及したことはない。2026年3月9日付の『Amwaj.media』は消息筋からの情報として、ハーメネイー最高指導者が生前に用意していたメモ書きには、息子モジタバーを次期最高指導者にすることに反対である旨が書かれていたという。英紙『ガーディアン』も同11日付の記事で、同師が息子の最高指導位継承に反対していたとの駐キプロス・イラン大使の証言を報じている。もしこれが本当であれば、最高指導位の「世襲化」によって、1979年の革命によって誕生したイスラーム共和国が「共和国」でなくなってしまうことへの懸念が彼にはあったのかもしれない。
先の『Amwaj.media』の記事は、ハーメネイー最高指導者から全幅の信頼を得て国の政策を取り仕切っていたとされるアリー・ラーリージャーニー国家安全保障最高評議会書記やアリー・アスガル・ヘジャーズィー最高指導者事務所副所長らも、モジタバーの最高指導者選出に反対していたものの、モジタバーに近いホセイン・ターエブ元革命防衛隊情報機構長官が同師の最高指導者選出を強力に推し進めたと指摘している。
この情報の真偽は不明だが、モジタバーが革命防衛隊、中でもその諜報部門と近い関係を有していることは以前から指摘されてきたことである。大統領や閣僚、軍の高官として国政運営で責任ある地位に就いたことのないモジタバーが次期最高指導者の最有力候補の1人とされてきたのは、彼が父親を中心に築かれてきた経済的・政治的な利権構造を壊すことなく受け継いでくれる人物だと、革命防衛隊から安心感をもってみなされてきたためである。その意味で、モジタバーは現状維持を最大の関心事とする超保守派とみなすことができる。
その一方で、イランの腐敗体質を一掃することのできる「改革派」として、モジタバーに期待を表明する人物もいる。例えば、体制内、特に有力なイスラーム法学者らによる金権腐敗疑惑を暴露したことでその名を知られるようになったパーリーズダールという人物は、2024年11月にあるインタビューで、「モジタバー師が次の最高指導者になれば、腐敗との闘いにも本腰が入るかもしれない」、「モジタバー師には、腐敗に真剣に取り組むだけの気概がある」と述べたことがある。故ラフサンジャーニー元大統領の娘で、ときにイスラーム共和国体制に対して批判的立場を示すこともあるファーエゼ・ハーシェミーも、モジタバーを「イランのビン・サルマーン」と呼び、(サウジアラビアに新風をもたらしたムハンマド・ビン・サルマーン皇太子のように)同師がイランに変革をもたらす可能性に言及している。
モジタバーがどのような政治的志向を有し、どのような思想の持ち主なのかについては、彼がこれまで公の場に出たことがほとんどなく、メディアのインタビューに応じたことも、演説を行ったことも、論文を発表したこともないために、それを知る手がかりはまったく存在しないというのが実情である[1]。むしろここで重要なのは、イランの実権を握る者たちが彼を今後どのような人物として国内外に示し、彼にどのような振り付けを施し、彼にどのような言動をさせるかであろう。事実、正体不明のモジタバーをめぐる「神話づくり」がすでに行われており、彼が最高指導者に選出された3月9日に、イラン国営放送は早速、彼がアラビア語や英語に通じ、学校で心理学を学んだこと、新たな技術や軍事学、安全保障問題、政治問題に通暁した人物であることなどを宣伝している。
ガーリーバーフ国会議長もモジタバーの最高指導者選出を言祝ぐなかで、彼が「敬虔で革命的、人民的、勇敢、有能で管理能力があり、時代に通じ、敵をよく知り、清貧」であり、「現下の状況や国の問題に通じ、革新的」で、「ノレッジベース分野(の産業の重要性)に確信を抱く」人物であると称賛している。同議長の声明で興味深いのは、先のイラン国営放送の紹介と同様、モジタバー師を博識なイスラーム法学者としてではなく、もっぱら「時代に通じた現代的人物」として描こうとしていることである。
なお、2022年8月下旬に、モジタバーによるイスラーム法学の上級コースの授業(ダルセ・ハーレジ)への受講参加登録が始まったとの報道が流れ、彼のイスラーム法学者としての権威付けが試みられた時期もあった。しかし、2024年9月に同授業の一時中止がモジタバー本人によって発表されており、彼自身イスラーム法学者として自らを位置付けることに否定的なのかもしれない。
3月9日にイラン国営放送でモジタバーの第三代最高指導者選出が発表された際、同放送局のアナウンサーは彼を「ラマダーン戦争の傷痍者」と呼んだとされる。「ラマダーン戦争」とは、2月28日に始まったイスラエル・米国とイランとの間の戦争のことである。先の11日付『ガーディアン』は、モジタバーが足や腕に怪我を負い、演説をする状態にないとの駐キプロス・イラン大使の発言を伝えている。イスラエル・米国による対イラン攻撃後、ペゼシュキヤーン大統領をはじめとする指導者たちは、動画によってその生存が確認されているが、モジタバーは最高指導者に選出されて以降も依然として動画・音声はおろか、文章による声明すら発表されていないことから、彼の負傷が重度である可能性も否定できない。
米国・イスラエルによる暗殺を避けるためと称して、今後もモジタバー最高指導者のメッセージが革命防衛隊を通してのみ伝えられるという状況も考えられる。その場合、最高指導者に通じる唯一の「代理人」あるいは「扉」として、革命防衛隊の幹部をはじめとする一部の体制内の実力者によって彼のメッセージが「制作」され、最高指導者の権力が「乗っ取られる」ことになるかもしれない。
(脱稿日:2026年3月12日)
[1] モジタバーはこれまで、写真でのみ存在が確認されてきた人物であり、『インディペンデント・ペルシア語』の報道によると、イスラーム法学の上級コースの授業を一時中止することを宣言した2024年9月付のごく短い動画以外、彼の肉声は残っていないという。







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