調査研究 政策提言

2023年度外交・安全保障事業

  • コメンタリー
  • 公開日:2023/06/16

中東の「地殻変動」をどのように読みとくか ――米国の戦略的後退と、中東諸国の新しい地域主導型外交の形

MEIJコメンタリーNo.1

中東調査会 研究主幹 青木健太

変動する中東地域秩序

 近年、中東において域内関係再編が急速に進んでいる。イスラエルとアラブ諸国の関係正常化に合意したアブラハム合意(2020年9月)、カタル包囲網を解くウラー宣言(2021年1月)などが、これを代表する出来事だ。これらに加えて、2023年3月10日、イランとサウジアラビアが中国の仲介で国交回復に合意し、世間の耳目を集めた。同年5月には、シリアのアラブ連盟復帰も決定された。

 本稿では、こうした中東の「地殻変動」を読みとくため、大国の中東への関与の変化を中心とする外部要因と、中東諸国、特にイランから見た世界観という内部要因の双方を検討し、現状理解への補助線を引きたい。

(出所)Wikimedia Commonsより。

 

米国の中東からの撤退と中国・ロシアの台頭

 1980年1月、米国のカーター大統領は一般教書演説の中で、石油が大量に埋蔵されるペルシャ湾岸地域と海上交通路(シーレーン)を防衛するため、中東を米国の核心的利益と位置付けた※1。冷戦期、米国の対中東政策は、石油・天然資源の確保、ソ連の封じ込め、そしてイスラエルの安全保障の3つによって規定されていた※2。しかし、この3つの内、シェールオイル産業の勃興により、既に前者の2つは意味を失っており、米国の中東離れが進んでいる。

 これを示すかのように、2011年から2012年にかけてオバマ政権(2009~2017年)がアジア重視のリバランス政策を打ち出して以降、湾岸地域とその周辺に駐留した米国軍の兵力数は大幅に減少した※3。オバマ政権は、「忘れられた戦争」と呼ばれるようになっていたアフガニスタンからの出口戦略を策定した他、イラクからの米軍撤退も押し進めた。これに伴い、アフガニスタン・イラクへの後方支援基地として機能したGCC諸国での米軍兵力数も減少した。同時に、2013~2014年にかけて、シリアのアサド政権による化学兵器使用疑惑が伝えられた際、オバマ政権はレッド・ラインを越えたにも拘らず、軍事行動を取らなかった。

 トランプ政権期(2017~2021年)に入っても、イエメンのアンサール・アッラー(通称フーシー派)がサウジアラムコ社石油施設をドローン攻撃し甚大な被害をもたらした事件(2019年9月)に対し、米国は軍事行動を起こさず、このことがアラブ湾岸諸国に「このまま米国に頼っていてよいのか」との不信感を与えた。こうした中、米国はイラク・シリアからの撤兵を進めつつ、アフガニスタンでもターリバーンとドーハ合意を締結し、軍完全撤退を押し進めた。バイデン政権成立(2021年1月)後もなお、米国は対アフガニスタン政策を大きく変化せず、軍完全撤退を表明、その直後からターリバーンが攻勢を強め、遂には2021年8月にアフガニスタン政権が崩壊した。

 米中対立の先鋭化とともに米国が中東から戦略的後退を図る中、影響力を拡大させているのが中国とロシアだ。中国は強固な経済・貿易関係を基に、今や中東において軍事・政治分野でも影響力を拡大させつつある※4。中国は2017年、ジブチに中国として海外唯一の海軍基地を設置した他、冒頭で述べた通り、イラン・サウジアラビア国交回復合意を仲介した。また、ロシアは2022年2月のウクライナ侵攻を経て、欧米から厳しい経済制裁を受けて財政が逼迫したことを背景に、新たなパートナーとして中東に目を向け始めている。

 つまり、現在起きている米国の撤退と中露の台頭という現象は、米国歴代政権が一貫して中東からの戦略的後退を図っていることから、いずれの米大統領の属人的資質に関わるものではなく、構造的転換を背景としていることがわかる。

 

イランが置かれた現在地と戦略的視座

 それでは、外部環境が変化する中、中東諸国はどのように新たな現実に対応しているのだろうか。イランの観点を中心に、これを見ていきたい。

 

「今日、米国をはじめとする大国は衰退しており、アジア諸国や地域機構のような新興勢力が台頭している…(中略)…シオニスト体制(注:イスラエル)の状態は、過去70年間でかつてなく悪くなっており、これは新しい世界秩序が出現していることの証である。」

 

 2023年6月3日、イランのライーシー大統領は、ホメイニー師の没後34周年式典でこう述べた※5。最近になり、イラン政府高官からは、「新しい世界秩序」、「米国の凋落」といった言葉が散見されるようになった。

 イランは1979年2月の革命成立以降、「イスラーム法学者による統治」論の下、イスラームの戒律を重視するとともに、イスラーム共同体(ウンマ)を脅かすイスラエルと、傲慢な抑圧者と捉える米国を脅威と認識しながら強国化を図ってきた※6。近年では、2018年5月のトランプ政権による核合意からの単独離脱、それに伴う「最大限の圧力」キャンペーンにより、厳しい金融・原油取引制限がイランに科された。これにより、イランは米国との軋轢を深め、中国、ロシア側に押し出されることとなった。

 米国の対イラン強硬政策は、必然的に、イラン側に根深い対米不信を植え付けた。ハーメネイー最高指導者は、累次にわたり、米国が信用できないと発言してきた。一例を挙げれば、2020年12月16日、同指導者は故ソレイマーニー革命防衛隊ゴドス部隊司令官の遺族の前で、「私からの決定的な助言は、敵を信用するなということである。トランプとオバマは貴方に何をしただろうか。トランプが去るだけで敵がいなくなるわけではない。オバマもまた、イラン国民に悪行を働いた。欧州3カ国(注:英、仏、独)もまた、強欲や悪意や偽善を示してきており、信用することはできない」と述べている※7

 欧米への不信感を背景に、2021年6月の大統領選挙では、国際協調路線を敷いたロウハーニー大統領が退場し、保守強硬派のライーシー政権が成立した。三権が保守強硬派で占められ、革命防衛隊の存在感が増している※8。一方、外交面では、イランは抵抗経済の確立に向けて、「均衡の取れた外交」を展開しており、中国、ロシア、近隣諸国、ムスリム諸国、地域機構、反米国家等との、多面的且つ密接な関係構築を図っている(図表1参照)。

 

図表1 ライーシー大統領の外遊先一覧(2021年8月~2023年6月)

 

(出所)公開情報を元に筆者作成。

 

 軍事面では、核保有を囁かれるイスラエルと力を均衡させるべく、国産弾道ミサイルとドローン技術の向上に努めてきた。湾岸諸国の米軍駐留基地に囲まれ、イスラエルと敵対する中、レバノンのヒズブッラーやシリアの親アサド政権民兵などの非国家主体への支援を通じた、「抵抗の枢軸」の強化も図っている。平和利用を目的とした核開発、ミサイル・ドローン開発、地域不安定化活動を通じた「前方防衛戦略」の下で、イランは抑止力を維持・向上させている。

 

国際南北輸送回廊の整備、基軸通貨ドルへの対抗

 地域との連結性においては、イランは国際南北輸送回廊(INSTC)の整備に力を入れ始めている。INSTCとは、インド(ムンバイ)から、イラン、アゼルバイジャンを通って、ロシア(モスクワ)までを連結する道路、鉄道、海路の複合輸送ルートである。同回廊は、2000年に構想こそ打ち出されたものの政治的推進力を欠き、過去20年間、大きな進展が見られなかった。しかし、主要なプレーヤーである、ロシアとイランが厳しい経済制裁から代替輸送路を必要とするようになり、そしてインドが大国を志向し中央アジアと欧州市場に目を向けるようになって以降、INSTC構想は具現化に向けて動き始めた。

 実際、2023年5月17日には、イランはロシアとの間で、ラシュト・アスタラ間鉄道敷設に合意した※9。また、ハーメネイー最高指導者は2023年5月31日、トルクメニスタンのベルディムハメドフ人民評議会議長とテヘランで会談した際、「イランはINSTCを完成させることを決意している」「同回廊はトルクメニスタンをオマーン湾沿岸諸国と連結する」と発言した※10。この発言は、イラン政府が、INSTC整備を重視していることを表している。

 また、イランは、基軸通貨ドルに対抗する動きも鮮明化させている。イランはロシアとの間で、自国通貨決済に向けた動きを加速させており、両国は銀行間で直接通信ができる決裁システムを立ち上げた※11。2023年5月のインドのドヴァル国家安全保障評議会書記来訪の際にも、イラン側は二国間の経済取引を自国通貨で行うことを提唱した。イランも加盟に関心を示すBRICS外相会合(2023年6月1日)では、「各国閣僚は、BRICSと貿易パートナー間での国際貿易と財務決裁において、自国通貨の使用を奨励する重要性を認識する」との文言※12が盛り込まれており、財務・金融面でも多極世界を見据えた動きが見え始めている。

 総じて、米国の一極支配体制が終わりつつあるとの認識の下、イランは欧米に過度の期待を寄せることを止め、「新しい世界秩序」に対応すべく地域主導型外交に舵を切っている。イラン同様、この他の中東諸国においても、国際環境の変化を背景に、対外関係の多角化が顕著となっている※13

 

おわりに:中東における新しい地域主導型外交への展開

 得てして、中東諸国は客体として扱われがちだ。しかし、至極当たり前のことであるが、それらの国々は独立した意思を持つ主体である。現在、中東で「地殻変動」が起こっている背景には、長らく中東地域で多大な影響力を有していた米国の戦略的後退、それに伴う中露の台頭があることは確かである。しかし、それ以上に、中東諸国の指導者層の中で大きな意識の変革が起こっていることは確かであろう。イランの事例は、欧米への期待が薄れ、代わりに独力での国家運営に向けて自信を深める中東諸国の一端を示している。

 現在、中東では地域諸国が主役となって、自らの国・地域の平和と安定の確立を模索する段階に移行している。これから、中東諸国はどのような外交を展開するのか、新しい中東の地域秩序はどうなってゆくのか、そしてその中で日本の果たすべき役割は何か。現場に根差した地道な調査研究が待たれる。

 

 

※『MEIJコメンタリー』 は、中東調査会研究員及び研究会外部委員が、中東地域秩序の再編と大国主導の連結性戦略について考察し、時事情勢の解説をタイムリーに配信してゆくものです。

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