中東かわら版

№67 モロッコ:約7万人がスペイン領セウタへ集団で不法越境

 モロッコから、例を見ない程の多くのモロッコ人が海を渡ってスペインへと不法に入国しようとする出来事が起きた。これは2026年6月29日にスペインの最高裁が、即時送還の手続きは、フェンスのような物理的な国境障壁を突破した場合のみ適用できるという判決を下したことがきっかけとなった。この判決に従えば、海路で不法に入国した場合、国境のフェンスを乗り越えないため、即時送還の対象とはならず通常の送還手続きの対象となる。このことが「海路でセウタに入れば強制送還されない」と誤って理解され、それがSNS上で拡散し、大規模な不法入国の波を作り出した。

 2026年7月29日、モロッコから800人以上の人がスペインの飛び地であるセウタへ不法に泳いで渡ろうと試みた。スペインの報道によれば、不法入国者の国籍は、モロッコおよびアルジェリアであった。

 セウタは、モロッコ北部に接する北アフリカのスペイン領で、人口約8万3000人のうち半数近くがイスラーム教徒とされる都市である。この小規模な都市に7月20日~29日の10日間で、約1500人がセウタに泳いで、あるいは小型ボートで不法に入国していた。

 不法入国の数はその後も増え、30日には流入規模が急激に拡大した。海上から泳いで渡る人に加え、陸上の国境施設を突破する人も相次ぎ、スペイン内務省によれば同日朝から約5万人がセウタに入った。また8月1日付のモロッコ紙『HESPRESS』によれば、過去30時間で約6万9500人がセウタからモロッコ側へ戻っている。一方、モロッコの内務省は、セウタに向かったのは約4万人であると発表した。公式発表はないものの、モロッコのメディアで、保護者のいない1000人以上の越境したモロッコ人未成年者や、越境する際に溺死したモロッコ人に関連する報道がされており、セウタに不法に入国しようとした人の多くはモロッコ人であったとみられる。

 8月12日付の『HESPRESS』は、モロッコ当局がセウタ周辺での警備態勢を強化したと報じた。これは、SNS上で8月15日にセウタへの集団不法越境の呼びかけがなされていることを受けての措置である。また同日付の『HESPRESS』は、モロッコ内務省が集団不法越境を扇動した疑いで数名を逮捕したと報じた。こうしたSNS上の呼びかけについて、スペイン、モロッコ両政府は、人身取引や密入国に関与する犯罪グループが関与している可能性を指摘している。またSNS上では、セウタに泳いで渡るための具体的なルートや沿岸警備隊の巡回状況、海況、ウェットスーツなどの装備に関する情報も共有されていた。

(グーグルマップを使い筆者作成。赤色の丸印:スペイン領セウタ、黄色の丸印:スペイン領メリリャ。今般のセウタへの不法入国に合わせて、メリリャでも1000~2000人規模の不法入国の試みがあった。)

(グーグルマップを使い筆者作成。スペイン領セウタ付近の拡大図。赤線より東側がスペイン領セウタ、西側がモロッコ。黄色の丸:泳いで入国を目指す際の出発地点となったとみられる場所。緑色の丸:海路での主な入国地点。黄色の丸と緑色の丸は直線距離で4~5キロ。)

評価

 今般のスペイン領セウタへの集団的不法越境は、複数の問題を浮かび上がらせる。まず一つ目は、モロッコ国内における経済状況への閉塞感である。8月4日付の『HESPRESS』はモロッコでは不動産価格が高騰し、さらに資材価格、人件費も上昇しており、中間層がマイホームを所有することがより困難になっていると報じている。住宅を購入するにはローンを組む必要があるが、モロッコで出された最新の金融安定レポートによれば、債務者の10人に4人が月収の40%超を返済に充てている。また同レポートによれば、家計債務は2012年以来最大の伸びを記録している。こうした報道やデータは、住宅取得を含むモロッコの家計負担が増していることを示しており、若者が将来に対して抱く閉塞感を示すものの一つとなっている。モロッコの専門家も、今般の集団的不法越境の背景に、欧州にさえ到達すればより良い生活が送れると信じている若者の多さを指摘している。

 他にも、誤情報の拡散がもたらすリスクも浮き彫りにしている。スペインは、国境検査なしで人の移動の自由を保障するシェンゲン協定の加盟国である。しかし、2022年の欧州議会の答弁によれば、スペイン領セウタに入国したとしても、セウタからスペイン本土あるいは他のシェンゲン加盟国に移動する際には、本人確認および書類の確認が必要である。そのため、セウタはシェンゲン圏に含まれるものの、セウタに入国すれば、そのまま他のシェンゲン加盟国へ自由に移動できるというわけではない。こうした制度上の制約があるにもかかわらず、SNS上で誤った情報が流布し続ければ、それを信じたモロッコ人だけでなく、サブサハラ・アフリカからモロッコを経由して欧州を目指す移民の越境を促す可能性も否定できない。

 さらに、外交上の問題も生じている。数万人におよぶセウタへの不法入国が報じられると、イタリアはスペインからの入国者に対する国境検査を一時的に再導入し、ドイツはモロッコに対しセウタからの不法移民の即座の引き取りを強く要求した。またモロッコおよびスペインと共に2030年にワールドカップを共催するポルトガルでは、左派政党が共催からモロッコを外すべきだ主張している。今般の大規模な不法入国は、モロッコとスペインの国境管理にとどまらず、欧州諸国との外交関係にも影響を及ぼす問題へと発展している。

 モロッコ国内においては、セウタに関する「主権」の問題も浮上している。セウタは1415年にポルトガルによって征服され、その後17世紀にスペイン領となった。モロッコは1956年に、スペインおよびフランスから独立したが、セウタは引き続きスペイン領にとどまった。このため、モロッコ国内ではセウタを植民地支配の残滓、あるいは未完の脱植民地化の問題として捉える見方も存在する。モロッコのイスラーム主義政党である公正発展党(PJD)のベン・キーラーン書記長は、2026年1月にセウタとメリリャを祖国へ復帰させるため努力しなければならないと述べており、一部のモロッコ人にとって、セウタは現在も「占領」された領土と映っている。8月12日には、今般の事態を受け、ワフビー司法相がセウタとメリリャに対するモロッコの主権上の権利を改めて主張したと報じられた。セウタをめぐる主権問題は両国にとって極めて繊細である。一方、今回の事態では人口約8万3000人のセウタに1~2日で約7万人が流入し、同市がモロッコ国内でも改めて強く意識される契機となった。さらに、モロッコとの地理的近接性に加え、住民の半数近くがイスラーム教徒とされるという特徴もある。こうした状況が続けば、モロッコ国内でセウタに対する主権要求が改めて強まる可能性も否定できない。

 セウタへのモロッコ人の大量流入は2021年にも生じており、当時は約8000~1万人がセウタに入った。これは、西サハラの独立を目指すポリサリオ戦線のイブラーヒーム・ガーリー書記長をスペインが国内の病院に受け入れたことにモロッコが反発し、モロッコ側が国境管理を緩めたことが背景にあったとされる。これに対し、今般の集団的不法越境では、モロッコ当局も不法越境の取り締まりに動いた。モロッコは、ポリサリオ戦線と帰属を争う西サハラをめぐり、自国の立場に対する欧州諸国の支持を広げることを重視している。西サハラ問題に加え、セウタをめぐっても新たな外交問題が生じる可能性があることを踏まえれば、モロッコ政府は今後、同地域の国境管理を一層強化していくとみられる。

(主任研究員 平 寛多朗)

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