中東かわら版

№76 イスラエル・パレスチナ:ガザ地区に対する「合意違反」による軍事攻撃再開の可能性

 2025年10月13日、イスラエルのカッツ国防相は、ハマースが合意済みの人質遺体の全数ではなく、4体のみを引き渡す意向を示したことを受け、停戦合意に違反していると非難した。

 14日、イスラエルは国連に対し、ハマースが停戦合意で定められた死亡したイスラエル人の人質の遺体を72時間以内に返還しなかったため、ガザへ向かう人道支援トラックの台数を予定されていた約600台から半分の300台に制限すると通告した。

 同日、ベン・グヴィル国家安全保障相は、遺体の返還が予定通り行われなかったことを受け、ハマースに対する明確な最後通牒を発するようネタニヤフ首相に求めた。また、スモトリッチ財務相は、人質を返還するには軍事的な圧力しかないと述べた。

 2025年10月10日の正午に発効した今般の停戦合意では、72時間以内、つまり13日の正午までにハマースがすべての人質を解放することが定められていた。人質の総数は生存者20名、死亡者28名であり、生存者については13日にすべて解放された。一方で死亡した人質の遺体は4体しかハマースから引き渡されなかった。イスラエルの閣僚らは、これを合意違反に当たるとして、軍事行動を含む制裁措置を検討すべきだと主張している。

 しかし、赤十字国際委員会(ICRC)の報道官は、人質遺体の引き渡しには時間がかかるとの見解を示している。これは、イスラエルによるガザ地区への攻撃で建物が瓦礫と化し、その中から遺体を発見することが極めて困難になっているためである。また、瓦礫の下に遺体がある場合、損傷や腐敗が進んでいる可能性があり、イスラエル側への返還が容易ではないことも考えられる。ICRCは、遺体が発見されない可能性についても言及している。

 軍事行動を主張するベン・グヴィル国家安全保障とスモトリッチ財務相は、極右として知られ、軍事力によるハマースの殲滅を訴え、今般の停戦合意にも反対の立場を取っていた。

 9日、スモトリッチ財務相は、今般の人質交換によって釈放されるパレスチナ人囚人を、「次世代のテロ指導者」と呼び、彼らは「ユダヤ人の血を流し続けるためにあらゆる手段を講じるだろう」と主張した。

 10日、ベン・グヴィル国家安全保障相は、米国のウィトコフ中東担当特使、ジャレッド・クシュナー元大統領上級顧問との会談の中で、釈放予定のパレスチナ人囚人を「テロリスト」、「赤ん坊殺し」、「女性強姦犯」と呼び、米国ではそのような人物が釈放されることは決してないと断言した。さらに「(ヨーロッパが)ヒトラーと和平を結んだだろうか?ハマースはヒトラーだ。彼らは私たちを殺したいのだ」と主張した。

評価

 停戦交渉の開始以降、両閣僚は停戦が合意に至った場合には政権を離脱する可能性を示唆し、ネタニヤフ首相に圧力をかけていた。ネタニヤフ首相の属するリクード党は、単独では議席の過半数を確保しておらず、政権を維持するためには、スモトリッチ財務相が党首を務める「宗教的シオニズム」党とベン・グヴィル国家安全保障相が率いる「ユダヤの力」党との連立が不可欠である。自身の汚職疑惑で裁判中であるネタニヤフ首相にとって、連立の崩壊によって首相職を失うことは、逮捕に直結しかねるリスクであり、何としても避けたい状況である。

 一方、米国が提示した今般の停戦案については、トランプ大統領による強い介入があり、ネタニヤフ首相には実質的に拒否の余地がなかった。また、停戦合意の履行を監視するため、200人規模の米軍部隊を派遣すると米国が発表している以上、イスラエルが一方的に合意を破棄することも難しかった。

 そのような状況の中で、今般の人質返還をめぐる合意違反の問題が浮上している。イスラエルの攻撃で廃墟と化したガザ地区では、遺体が瓦礫の下に埋まり、期限内の返還が困難になる可能性があることは、合意当初から容易に予測できたはずである。仮にこのまま「合意違反」を理由にイスラエルが軍事行動を再開するのであれば、米国の要請を受け入れつつ、ベン・グヴィル国家安全保障相とスモトリッチ財務相を連立に留めるために、当初から意図的に仕組まれた「合意違反」であったと言わざるを得ない。

(研究員 平 寛多朗)

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