中東かわら版

№74 イスラエル・パレスチナ:人質解放に関する思惑の違いとガザ情勢の今後

 2025年10月13日、米国のトランプ大統領はイスラエルの国会(クネセト)で演説を行い、イスラエルのヘルツォグ大統領に対しネタニヤフ首相への恩赦を与えるよう求めた。ネタニヤフ首相は、現在、自身が関係する汚職疑惑の裁判中である。トランプ大統領が演説を行った日、ハマースによって拘束されていた生存者全員が解放された。トランプ大統領の発言は、このネタニヤフ首相の功績を考慮したものとみられる。

 演説に先立ち、トランプ大統領は、イスラエルに向かう大統領専用機エアフォースワンの機内で記者団に対し、「イスラエルとハマースの戦争は終わった」と述べた。これは、ネタニヤフ首相が「戦争の終結」を明言していないことを指摘した質問への回答だった。

 同日、パレスチナのアッバース大統領は、ガザ地区に関する和平サミットに出席するためエジプトのシャルム・シェイフを訪問した。サミットに先立ち、アッバース大統領は各国首脳と会談し、同地区からのイスラエル軍撤退およびパレスチナ自治政府による統治の引き受けについて協議した。また、イスラエルによって差し押さえられているパレスチナの資金の返還を求めた。

 ネタニヤフ首相は、トランプ大統領から同サミットへの参加を招かれたが、ユダヤ教の祭日にあたることを理由に出席を辞退した。

評価

 2025年10月10日に発効した今般の停戦合意は、イスラエル人の人質解放を主眼としたものであり、パレスチナ問題の根本的な解決を目的とするものではない。もっとも、この「停戦合意」に関して、米国、イスラエル、パレスチナ自治政府の間でその意味づけや受け止め方に差異がみられる。

 クネセトやエアフォースワンでの回答が示すように、トランプ大統領は今回の停戦合意によって、ガザ問題は既に終結したという認識を持っている。今後は、9月末に自身が提案した「20項目のガザ和平計画」に沿い、ハマースの武装解除が進んでいくとおそらく考えている。「20項目」には、パレスチナの自決権への言及があるものの、パレスチナ人の権利そのものには触れておらず、この欠落は今般の停戦合意をめぐるトランプ大統領の言説にも表れている。

 これに対し、イスラエルはガザ問題が終結したとは考えておらず、今般の停戦合意はあくまで人質解放のための措置とみなしている。ネタニヤフ政権は、イスラエル、パレスチナという二国家の樹立を目指す「二国家解決」に否定的な立場を取ってきた。今般の停戦合意の延長線上に想定されているのは、パレスチナの自治権ではなく、ハマースが排除されたイスラエルにとって安全な「ガザ地区」である。

 12日、カッツ国防相は、ガザ地区のトンネルを破壊する準備を軍に命じ、同日イスラエル国防軍(IDF)のザミール参謀総長は、「ガザ地区がイスラエルにとって再び脅威とならないようにする」と述べた。両者の発言は、イスラエルにとって関心の中心が自国の安全保障であり、ハマースの完全な武装解除が困難とされる中でも、それを実現しようとする強い決意を示している。

 また、イスラエルはその安全をアラブ諸国との連携の中で実現しようとは考えていない。2023年以降、ガザ戦争における停戦仲介およびガザの復興計画の策定は主にエジプトが担ってきた。しかし、この期間、ネタニヤフ首相とエジプトのシーシー大統領が直接会談することはなく、和平サミットの欠席は両者の関係の冷却を象徴している。それはまた、イスラエルがアラブと手を組んでガザ地区の「平和」を実現する意図が乏しいことを示している。

 一方、パレスチナ自治政府および和平サミットに参加したアラブ諸国の関心は、パレスチナ問題の解決にあり、今般の停戦合意は二国家解決に向けた第一段階だとみなしている。第二段階として、ガザ地区の統治をハマースからアッバース大統領に移譲することが想定されている。10月12日には、イスラエルメディアが、今後ガザ地区の統治への参加に関する保証をパレスチナ自治政府は得たと報じた。

 しかし、統治の移行が進むかどうかは不透明であり、パレスチナ自治政府の統治能力に関しても疑問符が付く。現在、パレスチナは総歳入の約3分の2を占める税収をイスラエルに差し押さえられており、数か月にわたり公務員に賃金を払えていない。パレスチナのメディアは、10月12日から2025年7月分の給与の50%を公務員に払うと報じており、その財源不足の深刻さを伺わせる。つまり、統治に必要な収入は、イスラエルの政策によって左右されるということであり、そのイスラエルが二国家解決を望んでいない以上、パレスチナ自治政府が即座にガザの統治を完全に行えるようになるとは考えにくい。また、今般の停戦合意では、パレスチナ自治政府のガザ地区への関与には触れておらず、トランプ大統領の「20項目」においても将来的な可能性としてしか言及されていない。

 今般の停戦合意は治安の確立と安定化が先行し、ガザ地区の帰属問題が希薄化するリスクを孕む。米国は、今般の停戦合意を履行させるため、200人の米軍部隊を派遣すると発表し、さらにトランプ大統領の「20項目」に従い、国際安定部隊(ISF)を創設し、停戦維持の監視にあたらせるとした。軍事衝突なくハマースが武装解除をした場合、パレスチナ自治政府は国際監視の下でガザ地区の統治への関与を望むであろう。しかしイスラエルはそれを望まず、パレスチナとは切り離された、イスラエルにとって都合のよい「ガザ地区」建設を進めていくとみられる。

 米国、イスラエル、パレスチナ自治政府、そしてエジプト等の仲介国の思惑が交錯する中で、「国際社会」という名の米国・イスラエル主導の下、ガザ地区は周辺にとって都合のよい緩衝空間へと変えられつつある。そこに暮らすパレスチナ人は、権利も保障されずどこにも帰属しない存在となるおそれがある。

(研究員 平 寛多朗)

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