中東かわら版

№20 イラン:在イラン・アゼルバイジャン大使館襲撃事件の犯人の死刑執行

 2023年1月27日にカラシニコフ銃で武装して在イラン・アゼルバイジャン大使館を襲撃し、アゼルバイジャン人外交官1名(警備責任者)を殺害、2名を負傷させた事件でキサース刑(同害報復刑。この場合は死刑)の判決を受けていた男が、5月21日午前5時に、アゼルバイジャン大使館員2名が見守る中、処刑された。死刑判決は、2024年1月28日に下っていた。

 アゼルバイジャン外務省報道官は、同国大使館に対する「テロ行為」に手を染めた人物に対する刑の執行は、イランに対するアゼルバイジャン共和国の主要な期待の1つだったとした上で、互いの敬意に基づくアゼルバイジャン・イラン関係の発展に向けて、両国がともに努力することが重要だとのコメントを発表した。

評価 

 2023年1月の襲撃事件後、アゼルバイジャンのアリエフ大統領はこれを「テロ行為」として強く非難した。また、同国外務省はこの事件の責任はイラン政府にあるとして、大使館員らを本国に召還し、大使館業務を停止した。これに対し、イラン司法当局は、襲撃犯の動機は個人的なものだとして、「テロ」であることを否定した。イラン当局によると、襲撃犯の妻はアゼルバイジャン国籍者で、彼は妻からパスポートを取り上げて、彼女の里帰りを一切認めなかったため、彼女は在イラン・アゼルバイジャン大使館に逃げ込み、母国に帰国したという。こうした背景から、襲撃犯はアゼルバイジャン大使館に妻が匿われていると信じ、同大使館を襲撃したとされる。

 アゼルバイジャンはイラン側の対応を不十分として、2023年4月に4人のイラン人外交官を同国から追放した。これに対しイラン側も、アゼルバイジャン本国と飛び地のナヒチェヴァンを結ぶ道路をイランとアルメニアの国境沿いに建設する「ザンゲズール回廊構想」を、国際的に認められた国境を一方的に変更する行為であるとして、アゼルバイジャン(とトルコ)を強く非難するなど、2023年に両国の関係悪化は頂点に達した。

 しかし、2024年1月下旬に襲撃犯に対する死刑がイラン最高裁で確定したことを1つのきっかけとして、2024年3月に両国は在イラン・アゼルバイジャン大使館の再開で合意し、2024年7月に在イラン・アゼルバイジャン大使館は場所を移転させて活動を再開した。

 そして2025年4月28日、イラン大統領としては約5年半ぶりに、ペゼシュキヤーン大統領がアゼルバイジャンを訪問し、政治対話や運輸、投資、医療協力などの分野で、7の協力協定を結び、ライーシー政権下で大きく冷え込んだ両国の関係の改善を印象付けていた(なお、ライーシー大統領の前のロウハーニー大統領(2013~2021年)はアゼルバイジャンを2度訪問している)。さらにイラン革命防衛隊とアゼルバイジャン軍による共同軍事演習「アラス2025」が、5月18日から21日にかけてアゼルバイジャン・カラバフ地域で実施されている。

 こうした関係改善の流れの「締めくくり」として、今回、在イラン・アゼルバイジャン大使館襲撃犯に対する死刑が大使館関係者の「確認」の下で執行されたと言えそうである。今後は、南北回廊の完成にとって重要な、全長162.5キロのラシュト=アースターラー間の鉄道建設で、アゼルバイジャンがイランに資金面等でどれほどの協力をするかが注目点となるだろう。

 ただし、イランとアゼルバイジャンが今後も関係改善の流れを維持していくのかどうかは、決して楽観できない。アゼルバイジャンはイランの敵国イスラエルと軍事・経済面で緊密な関係を有していることが、その直接の理由だが、イランが「アゼルバイジャン人の国」としての側面を持っていることも見逃せない。イランには、アゼルバイジャン共和国の全人口(約1千万人)を上回る「アゼルバイジャン人」(民族別の統計がないため正確な数は不明なるも、おそらく2000万人以上)がおり、両国の関係悪化時にはアゼルバイジャン共和国から「民族的呼びかけ」がしばしば行われてきた。

 例えば、2022年11月にアゼルバイジャンのアリエフ大統領は、ウズベキスタン・サマルカンドで開かれた第9回テュルク諸国機構(the Organization of Turkic States)首脳会合で、「アゼルバイジャン国外に住む4000万人のアゼルバイジャン人のほとんど」が母語での教育の機会を奪われているとしたうえで、「アゼルバイジャン国家は、国外に住むアゼルバイジャン人の権利と自由、安全の確保に特別な注意を払っている」と述べた。この「国外に住む4000万人のアゼルバイジャン人」とは、イランに住むアゼルバイジャン人であることは明らかであり、アミール・アブドッラーヒヤーン外相(当時)は、アゼルバイジャンのバイラモフ外相との電話会談で「一部の非現実的な発言」への不満を表明した。ある国会議員は、アゼルバイジャンのすべての人々は「自身(イラン)の永遠の存在の一部」であるとし、アリエフ大統領の名を挙げて「オスマン帝国と大アナトリアの野望」は「墓に持っていくべきだ」と強く反発した。

 関係が改善基調にあった2024年12月には、イラン・アゼルバイジャン地方の一つアルダビールのモスクで開かれたある式典で、あるマッダーフ(シーア派イマームらの讃美歌・哀歌を歌う人)が、「サファヴィー朝の王エスマーイールの子孫たち(イラン人)」は200年前までイランの一部だったアゼルバイジャン共和国の各都市に、いつの日か「時のイマームの旗」をたなびかせる(征服する)ことになるだろうと発言したことに対し、アリエフ大統領自身が関係者の処罰・解任をイラン政府に求める騒動も起きている。

 こうした騒動の背景には、アゼルバイジャン共和国内ではイランのアゼルバイジャン地方を「南アゼルバイジャン」と呼んで自国の一部であるかのように喧伝する向きがある一方で、イランには1813年のゴレスターン条約でロシアに武力で割譲されるまで、アゼルバイジャン共和国の領土はイランの一部だったし、本来的には今もそうあるべきだという歴史的感情がある。

 イランとアゼルバイジャン共和国の間で、「アゼルバイジャン」をめぐる「物語」が共有されない限り、両国間の関係は常に脆さを内包することになるだろう。

(主任研究員 斎藤 正道)

◎本「かわら版」の許可なき複製、転送はご遠慮ください。引用の際は出典を明示して下さい。
◎各種情報、お問い合わせは中東調査会 HP をご覧下さい。URL:https://www.meij.or.jp/

| |


PAGE
TOP