№140 トルコ:イマムオール・イスタンブル市長の逮捕
2025年3月19日、エクレム・イマムオール・イスタンブル市長が検察当局により自宅で身柄を拘束された。拘束に至る経緯は、2024年秋頃から顕在化した公共事業をめぐる汚職疑惑および、2025年以降に浮上した学歴詐称問題に基づく一連の司法手続きにある。
2024年11月以降、政権寄りのメディアは、イスタンブル市の入札制度や契約プロセスに関する疑惑を相次いで報じ、この中で特定の企業への便宜供与、公金の不適切支出、市政関係者との癒着の可能性などが取り沙汰された。これを受け検察は、同年12月に正式な捜査に着手した。焦点となったのは、イスタンブル市が実施していた大規模な都市インフラ事業や、公共交通網の拡張を含む開発計画に関連する契約実務であった。
さらに2025年2月には、イマムオール市長がイスタンブル大学で取得した学位に関し、過去の論文に盗用行為があるとの指摘に加え、1990年の編入(横断的転入)手続きそのものが無効であるとの疑惑が浮上した。2025年3月18日、イスタンブル大学は公式に声明を発表し、市長を含む28名が高等教育評議会(YÖK)規定および、大学の制度に違反するかたちで編入を行っていたと認定した。その理由として「法的根拠の不存在」と「明白な過誤」を挙げ、イマムオール市長の学位を正式に取り消す決定を下した。これにより、イマムオール市長のイスタンブル大学卒業との学歴自体が無効となった。市長は同決定に強く反発し、政治的意図に基づく弾圧だと主張したものの、与党関係者はこの件を道義的責任の問題として取り上げ、政治家としての資質を問う世論を喚起した。
こうした経緯のもと、検察当局は捜査を急展開させ、3月19日早朝にイマムオール市長の身柄拘束に至ったのである。当局が提示した拘束理由には、公金横領、不正入札、職権濫用に加え、都市政策「都市合意(Kent Uzlaşısı)」を通じたテロ組織と関係した容疑も含まれていた。また、これらの容疑に関連して、ムラト・チャルク・ベイリクドゥズ区長、レシュル・エクレム・シャハン・シシュリ区長、マヒル・ポラト・イスタンブル市事務局長らを含む約100名も一斉に拘束された。当局はイマムオール市長の拘束期間を10日間とし、勾留期限は3月29日までと発表した。
2025年3月23日、イスタンブル第10治安裁判所は、イマムオール市長を拘束状態のまま訴追する決定を下した。司法当局側の説明によれば、イマムオール市長は「犯罪組織の設立および指揮」「公的入札の妨害」「賄賂の受領」「違法な個人情報の取得」「詐欺」「収賄・恐喝」などの罪状で訴追され、さらにテロ組織(クルディスタン労働者党(PKK)/クルディスタン共同体同盟(KCK))への資金・政治支援を行ったとする捜査も継続中とされた。
同日、共和人民党(CHP)は全国党員による大統領候補者選出の党内投票を当初の予定通り実施し、拘束中のイマムオールを唯一の候補者として推挙した。同選挙には、マンスール・ヤワシュ・アンカラ市長の出馬も取り沙汰されていたが、イマムオールの拘束後にヤワシュ市長が出馬を見送ったことにより、イマムオール氏が単独候補者となった。CHP指導部は、イマムオールに対する司法措置を「政治的迫害」であると非難し、法的および政治的な抵抗を続ける姿勢を明らかにしている。
なお、エルドアン大統領は拘束後の記者会見で、「トルコは法治国家であり、誰であれ法の下に平等である。地方行政を預かる者がその責任を果たさなかったのであれば、法が介入するのは当然である」と述べ、捜査および拘束を支持する立場を示した。一方、検察当局は「証拠隠滅の恐れと組織的な関与が疑われることから、捜査継続のための措置」として、逮捕の正当性を強調している。
2025年3月19日から23日にかけてのイマムオール市長をめぐる一連の司法措置は、野党候補への重大な圧力として注目されており、トルコ国内の政情に多大な影響を与えている。
評価
イマムオール市長が逮捕された背景には、公共事業をめぐる汚職疑惑、ならびに2025年2月に明るみに出た学歴詐称疑惑がある。しかし、この時期に行われた措置は、単なる司法的な判断にとどまらず、政治的文脈との相互作用の中で位置づけられる必要があろう。
先ず、司法的な論点として、捜査・逮捕に至るまでの手続きの妥当性、証拠の提示、容疑構成の合理性が問われている。とりわけ、「都市合意(Kent Uzlaşısı)」政策に関して、イマムオール市長がクルド系政党の人民平等民主主義党(DEM)との協力下で主導してきた地域協働型の都市政策が、テロ容疑に関連して捜査対象とされた点は、刑事司法の枠組みを超えて恣意的に解釈されたとの批判を招いている。同政策は、地域再開発や社会的弱者への支援政策に関して、市民団体や地方自治体との協議・連携を促進するものであり、これが組織的犯罪の一環と見なされた背景には、捜査機関の政治的判断が作用した可能性が高いと言わざるを得ない。
一方の政治的文脈としては、2025年3月23日にCHPが実施した大統領候補者選出の党内投票である。イマムオール市長は、政権交代を目指す野党陣営において最も広い支持を集める人物であり、エルドアン大統領にとって最大の対抗馬と見なされてきた。そのイマムオール氏が、党内候補者として選出される直前に身柄を拘束されたことは、政敵の出馬を妨げる目的があったのではないか、との疑念を呼んでいる。この拘束を受け、当初立候補が取り沙汰されていたヤワシュ・アンカラ市長は出馬を見送り、イマムオールが無競争で候補者に選出されることとなった。もっとも、今回の逮捕が影響したのはあくまで政党内部の予備的な選出段階であり、憲法上規定された本選挙の制度的枠組みに直ちに影響を及ぼすものではないという点で、その効果は限定的とも言える。しかしながら、司法権の行使が特定の候補者を不利な立場に追い込むかたちで政治過程に干渉したという構図は、政権による権力の恣意的運用や、司法の独立性に対する根本的な懸念を生じさせるものであり、民主制度の健全性をめぐる議論を避けがたくしている。
また、一連の疑惑の中で注目を集めたのが、与党・公正発展党(AKP)のシャミル・タユアル議員による憲法・法改正の提案である。同議員は、共和国憲法第101条に規定された大統領候補者の高等教育修了要件(大学卒業)および、「大統領は二期まで」とされる制限に対して緩和または撤廃を含意する改正案を示唆した。一見するとこの提案は、学位取り消しによって資格を失う可能性があるイマムオール市長に大統領選出馬の道を開く「寛容な妥協案」とも映る。しかし、同時にこれは、エルドアン大統領自身にとっても、再選出馬の法的障壁を取り除く結果をももたらす。すなわち、「イマムオールを排除しない姿勢を見せることで、エルドアン大統領の三選への道も同時に整える」という、表面的な中立を装いながら政権側の利益を確保する「政治取引」とも解釈できる。
2024年3月に実施された統一地方選挙で、AKPは主要都市部を中心に大規模な敗北を喫し、与党としての支配的地位に陰りが見え始めた。この選挙結果を契機として、エルドアン大統領による三選出馬の可否をめぐる憲法解釈および制度運用上の問題が、再びトルコ国内の政治的争点として浮上している。
現行のトルコ共和国憲法第101条は、大統領の任期を5年・二期までと規定しており、これが制度的な三選制限の法的根拠となっている。他方で、憲法第116条第3項では、現職大統領が二期目の任期中に議会が選挙の再実施を決定した場合に限り、例外的に同一人物による再立候補を容認している。
この規定の政治的な活用を視野に入れた場合、与党が議会内で過半数以上の安定的議席を維持すると同時に、早期選挙実施の正当性を確保しうる政治環境を整備することが前提条件となる。現状、AKPは議会で単独過半数に届いておらず、憲法上の要件を満たすためには、引き続き民族主義者行動党(MHP)との連携を強化しつつ、与党連合(人民連合)としての議会運営および選挙戦略の調整を進める必要がある。
こうしたなかで最大の競争相手であるイマムオール市長を学歴問題や司法措置を通じて予め排除しておくことは、エルドアン政権にとって戦略的に有利に働くとみられるため、イマムオール氏の拘束・逮捕は、権力維持をめぐる制度的・政治的地ならしの一環と位置づけることもできよう。
一方、昨年から続く一連の事態は、トルコ政治の象徴的な逆転現象を想起させる。エルドアン大統領はイスタンブル市長在任中の1998年4月、演説時の詩の朗読を理由に「宗教的憎悪の扇動」として起訴され、市長職を追われただけでなく、4カ月間投獄された経験を持つ。この一件では、当時の司法当局の姿勢が「政治弾圧」として社会的批判を受け、むしろエルドアン自身の政治的人気を高める結果へとつながった。そのエルドアン氏が現在、大統領という権力の座にありながら、かつて自らが受けた司法の政治利用を再現している点は、歴史的皮肉であるとともに、司法の独立性と政治の介入という構造的問題を浮き彫りにする。
イマムオール市長の逮捕は、形式上は法に則った措置ではあるが、その時機、容疑の性質、制度の運用方法を総合的に見れば、司法と政治の境界が著しく曖昧になっている状況を示している。このような構造は、今後の大統領選挙の展開や、トルコにおける民主主義のあり方に対して少なからぬ影響を与えるだろう。
(主任研究員 金子 真夕)
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