№135 シリア:沿岸部で治安部隊が民間人を多数殺害
6日夕刻ごろから、ラタキア県、タルトゥース県、ハマ県、ホムス県で旧シリア軍の将校らからなる武装集団と治安部隊との戦闘が拡大し、暫定政権が大部隊を派遣して鎮圧を試みた。武装集団側からは、旧シリア軍の将官を代表とする「シリア解放のための軍事評議会」を結成したと称する声明が発信されるなど、広汎な蜂起であるかのような広報活動があったが、同評議会の実態や内情は不明である。暫定政権側は蜂起を「アサド政権残党」と規定して鎮圧に臨んだが、その過程で治安部隊の要員と称する者たちが地元住民(主にアラウィー派の信徒)を多数殺害した。治安部隊による民間人殺害は国際的な批判を呼び、10日には国連などの外交団がタルトゥース、カルダーハなど殺害事件現場に視察に入った。また、暫定政権の大統領府は「沿岸地域での事件」についての独立調査委員会を編成した(9日)。
南部地域を中心にイスラエルによるシリア領域の侵犯が既成事実として固定化する中、イスラエルによる政治・社会的な干渉も拡大した。ダマスカス郊外のジャルマーナー市で地元の民兵による治安要員殺害事件(1日)が発生した際、イスラエルの要人の一部がシリアのドルーズ派信徒の保護を主張し、民兵を制圧しようとした暫定政府を脅迫した。アメリカの報道機関の一部は、イスラエルがシリアのドルーズ派住民を支援して連邦制を導入する工作を企画していると報じた。
暫定政権とクルド民主軍が、(クルド民族主義勢力による)自治機構やシリア民主軍の「国家の機構への統合」で合意した(10日)。合意にはシリア領内での停戦やクルド人の権利の尊重などが盛り込まれたが、暫定政権の統制外のトルコ軍とその配下の民兵であるシリア国民軍とシリア民主軍との交戦は続いている。
図:2025年3月10日時点のシリアの軍事情勢(筆者作成)
評価
ラタキア県、タルトゥース県での治安部隊によるアラウィー派の民間人多数殺害は、シリア紛争の過程で再三持ち出された「自国民への殺戮」との論理に沿えば現行の暫定政権の正統性を喪失させかねない重大な事案である。ただし、沿岸部諸県での戦闘ではアラブ諸国の一部が暫定政権支持を表明している。また、アラウィー派をアサド家、アサド政権と同一視する粗雑な状況認識に基づき、「アラウィー派に対する(シリア国民の)報復感情」など、事態を必然視・正当視するかのような言辞も見られるが、こうした発想はアラウィー派の信徒を「シリア国民から除外する」、「劣等市民として差別や迫害を制度化する」ことにつながりかねないものだ。しかも、暫定政権の治安部隊を構成するイスラーム過激派は、宗教的な確信に基づいてアラウィー派だけでなくその他の異端・背教行為の根絶を目指す政治運動であるため、今後の対応次第では被害が拡大することもありうる。
暫定政権とクルド民族主義勢力との合意は、合意事項を2025年中に実行することを謳っている。ただし、両者の国家機関への「統合」は、クルド民族主義勢力の軍事力や自治機関を「シリア・アラブ共和国の一部である」と宣言する程度の形式的な統合と、すべてを完全に解体して国家の機関に統合する実質的な統合との間のいずれかに着地点を見出すべきものであり、合意の実践は困難なものとなるだろう。クルド民族主義勢力はアラブ人も多数居住する制圧地の統治に際し、クルディスタン労働者党(PKK)のオジャラン党首の家父長的な権威と同党首の世俗的「思想」に基づいてジェンダー平等や家庭内暴力の問題のような個人の振る舞いや家庭内の人間関係をも統制する全体主義的志向の強いものだ。これに対し、暫定政権を支配するイスラーム過激派は、宗教的な信条に基づき個人の思考・行動様式を統制しようとする全体主義的な発想を持つ。暫定政権とクルド民族主義勢力との関係は、きわめて相性が悪い二つの全体主義的政治信条の相克によって規定されることになるだろう。なお、暫定政権で役職を得ているかつての反体制派の世俗主義的な志向の党派・活動家についても、シリア紛争当初に反体制派の大同団結が試みられた際にアラブ民族主義を強く主張してクルド民族主義勢力との決裂を招いた経緯があることから、シリア社会の一員としてのクルド人の権利の保障・増進という観点から生産的な役割を果たすことは期待しにくい。
しかも、クルド民族主義勢力はその制圧下で「イスラーム国」の構成員とその家族を多数収容している。これは、欧米諸国を中心に「イスラーム国」の構成員やその家族の送還を拒む国が少なくない中、彼らを法的手続きも司法上の問責も更生のための支援がない状態で超法規的に無期限で収容するものである。「イスラーム国」の者たちの収監・管理は暫定政権とクルド民族主義勢力との統合の過程で不可避であるとともに、彼らの引き取りを拒む諸国の介入・干渉も招く問題でもある。
(協力研究員 髙岡 豊)
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