№118 シリア:イスラエル軍によるクナイトラ県への侵攻・占領
イスラエル軍は、2024年12月8日のシャーム解放機構(旧称ヌスラ戦線。シリアのアル=カーイダ)のダマスカス制圧後ゴラン高原の兵力引き離し地帯(注:1974年にシリアとイスラエルとの間の兵力引き離し協定をもとに設置されたもの)を占領した。イスラエル軍は、ゴラン高原にあるクナイトラ県と、同県に隣接するダラア県、ダマスカス郊外県の一部にも侵攻を繰り返し、武器の「押収」や拠点の設置を進めている。2025年1月28日付『シャルク・アウサト』紙(サウジ資本の汎アラブ紙)は、同地への現地取材の模様として要旨以下の通り報じた。
*クナイトラ県のハーン・アルナバ地区では、人や車両の通行がほとんど見られない。地元民によると、イスラエル軍が周辺の村落・集落を占領したり、それらに侵攻したりする中で「外出禁止令」同然の状態にある。同地区中心部の広場ではタクシー数台が無為に客待ちをしていたが(取材日は金曜日で休日だった)、売り上げは平日でも若干ましになる程度でしかない。
*ハーン・アルナバ地区の周辺では、イスラエル軍が村落・集落、シリア軍の施設への侵攻を繰り返しており、その際の爆破音などで住民は恐慌状態に陥っている。同地区の西方(注:ゴラン高原のイスラエルの占領地寄り)5キロメートルにあるバアス市(注:新政府は「サラーム市」と改称した)では、イスラエル軍が武器の捜索を理由にパン工場、文化センター、電話局を占拠し、外出しないよう住民を脅した。
*ハーン・アルナバ地区フッリーヤ村出身と称する匿名の人物によると、イスラエル軍は住民が退去命令を拒むと戦車、ブルドーザー、兵員輸送車などで襲来し、村長やモスクの導師を脅迫して住民を退去させた。その後、イスラエル軍は道路、上下水道、農道を破壊した。ハーン・アルナバの西方1キロメートルの地点にもイスラエル軍が侵攻したが、この場所にあるパン工場、大学施設、水資源機構、国立病院などは、現在は営業している。
*人通りが絶えている点についてはバアス市も同様であるが、同地にあったクナイトラ県の行政合同庁舎の手前にはイスラエル軍が新たな「境界線」を設置し、土塁を構築して住民や職員、そして取材班の接近を禁じている。
*ハーン・アルナバでもバアス市でも、前体制の痕跡が除去され、新政権の旗が掲揚されていた。しかし、いずれにも軍事司令部や総合治安局の要員はおらず、クナイトラ県の軍事司令官も任命されていない。軍事司令部に近い筋によると、こうした状況の理由は「(クナイトラ県という)地域の機微さ」である。
評価
イスラエルはシリア紛争でヌスラ戦線や「イスラーム国」らのイスラーム過激派を含む「反体制派」の活動を支援・黙認しており、イスラーム過激派の戦闘員がゴラン高原被占領地を出撃拠点としたり、イスラエルの病院で治療を受けたりしていた事例は広く知られている。これは、「親イラン勢力」の排除という点でイスラエルとイスラーム過激派諸派との利益が一致したことに起因すると思われる。現在のシリア当局は、国連などを通じて「外交的に」イスラエル軍の撤退を求める方針を表明しているが、上記のような背景もあり、兵力引き離し地帯や同地帯を超えたイスラエル軍の侵攻や占領に対し、これを阻止・排除することはもちろん、住民保護のための具体的な措置をとることは考えにくい。
現在の状況は、大局的に見ればイスラエルや西側諸国の外交・安全保障政策に沿って行動するならば、イスラーム過激派・テロ組織でも一定の領域を制圧・支配することが承認されるという、イスラーム過激派馴致(じゅんち。なれさせること。なじむようにすること。また、次第にある状態に到達すること。)の実験の一環と考えることも可能だ。イスラエル軍が住民の生活に必要な社会基盤や生産手段を破壊し、彼らを排除するのは、パレスチナや南レバノンの被占領地で繰り返されているのと同様の行動であり、シリア領内でも被占領地が拡大し、占領が永続化する可能性を考えるべきだ。ゴラン高原の問題は報道機関の関心をほとんど集めていないが、地域の平和と安定を実現する上で決して無視してはならない問題である。
(協力研究員 髙岡 豊)
◎本「かわら版」の許可なき複製、転送はご遠慮ください。引用の際は出典を明示して下さい。
◎各種情報、お問い合わせは中東調査会 HP をご覧下さい。URL:https://www.meij.or.jp/