中東かわら版

№116 パレスチナ:ヨルダン川西岸地区の壊滅的状況

 2023年10月7日以来、ガザ地区での戦闘や人道状況の悪化が国際的な関心を集めているが、ヨルダン川西岸地区でも状況が悪化している。同地区では、10月7日以降イスラエル軍がハマースの構成員や支持者を中心に逮捕作戦を進め、2006年のパレスチナ立法評議会選挙後に同議会の議長に選出されたアジーズ・ドゥワイク、同選挙後にハマースを与党として発足した連立政権で副首相を務めたナーシルッディーン・シャーイルらが逮捕された。パレスチナの囚人関連団体が30日に発表したところによると、10月7日以降にヨルダン川西岸地区でイスラエル軍に逮捕された者の数は、1700人近くに上る。また、イスラエル軍の作戦に伴い、ヨルダン川西岸の各地でも衝突や抗議行動が発生しており、PAの保健省は30日の時点でヨルダン川西岸地区での死者数を122人と発表している。

 さらに状況を悪化させているのが、イスラエルの入植者によるパレスチナ人の追放や彼らの身体・財産に対する攻撃である。また、2023年4月以降のイスラエル軍とパレスチナ・イスラームジハード運動(PIJ)との交戦の際にもヨルダン川西岸地区でイスラエル軍の摘発作戦が行われ、それに伴う戦闘や衝突が多発していた。このような状況下で、2023年年明け以降の入植者による攻撃や入植地の建設は最悪水準で多発しており、ハマースによる「アクサーの大洪水」攻勢開始前の段階で国連などが懸念を表明していた。入植者の一部は、現在の状況に乗じてオスロ合意の際に「C地区」(注:ヨルダン川西岸地区の61%を占める。イスラエルの制圧下にあり、PAの権限やパレスチナ人による行政サービスの管理は及ばない)と定められた地域からパレスチナ人を一掃することを企画し、住民の追放や家屋の破壊を進めている。イスラエルの人権活動家によると、これまでの「C地区」で通算150平方キロメートル(注:ヨルダン川西岸地区の総面積は5660平方キロメートル)の土地から住民が追放されている。同地区の治安権限はイスラエルが持つが、イスラエルの軍・警察は入植者の行為に干渉しないばかりか、入植者を警備している。

評価

 激しい戦闘や人道状況の悪化が生じていないと信じられているせいか、ヨルダン川西岸地区の状況についての情報量はガザ地区に比べると非常に少ない。しかし、同地区では過去数年来、イスラエルの入植地の拡大やPAの機能の低下により、住民の生活環境が悪化の一途をたどっていた。現在も、PAはヨルダン川西岸地区のラーマッラーを拠点に外交活動を行い、諸外国の閣僚も同地を訪問しているものの、ガザ地区の状況についても、ヨルダン川西岸の諸都市の状況についても事態改善やイスラエルとの交渉の当事者たり得ていない。また、PAは数万人規模の治安部隊を擁しているものの、本来治安部隊の権限は「自治区をはじめとするパレスチナ内部の治安維持」であり、イスラエル軍の自治区侵入や入植者による侵害行為を防止する機能を果たしていない。

 また、ハマースやPIJなどの反イスラエル抵抗運動諸派は、一応ヨルダン川西岸地区の各所でも武装闘争を行っていると主張しているが、周囲をイスラエルとヨルダンに取り囲まれ、ヨルダン川西岸の各都市もイスラエルが建設した分離壁によって分断されていることから、ガザ地区に比べると武装闘争は人員、装備、訓練のいずれでも大きく見劣りしている。近年の既存の諸派による武装闘争の動きの悪さには、諸派の軍事部門の構成員らも不満を募らせており、2022年初頭からは現状に飽きたらない者たちが「ライオンの巣窟」との名称で武装闘争を主導するようになった。同派は、今般の状況に際し、ヨルダン川西岸での蜂起や抵抗運動を呼び掛けているものの、上記の通り戦力の不足は明らかで、顕著な戦果を挙げていない。

 最大の問題は、ハマースのような特定の団体や、ガザ地区のようなごく狭い領域に関心が集中するあまり、パレスチナとイスラエルとの対立やパレスチナ域外のパレスチナ難民問題、ひいてはアラブ・イスラエル紛争の全体像が顧みられていないことである。ガザ地区の状況は緊急かつ大規模な対処を要する問題ではあるが、世論の関心や各国の資源がこの問題に集中する中で、ヨルダン川西岸地区でパレスチナ自治の形骸化、PAの無力化、パレスチナ人の追放や土地の収奪が一挙に進むことは、長期的に大きな禍根となるだろう。

(協力研究員 髙岡 豊)

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