中東かわら版

№103 レバノン:「アクサーの大洪水」攻勢をめぐるレバノン方面の動き

 2023年10月7日にパレスチナでハマースなどが「アクサーの大洪水」攻勢を開始して以来、レバノンとイスラエルとの間でも緊張が高まっている。両国間では、境界を挟んで砲撃合戦が続いている上、在レバノンのパレスチナ諸派がイスラエル側への潜入作戦を実施し、双方の兵士が死傷している。15日には、イスラエル軍がレバノンとの境界から4km一帯の入植地から民間人を退避させている。また、両国の武力衝突を抑制するために南レバノンに展開している国連レバノン暫定軍(UNIFIL)は10日から一部地域でのパトロールを停止している。

 レバノン側でイスラエルとの戦闘の主な当事者となっているのはヒズブッラーで、同派は「アクサーの大洪水」攻勢の開始当初から「イスラエルとの国交正常化を図る者たちへのメッセージ」と解釈し、同攻勢に地域諸国の外交動向に影響を与えるものとの意義付けを図ってきた。また、アメリカ軍によるイスラエルへの支援や、パレスチナ近海への空母派遣を受け、「殺害、犯罪、封鎖、家屋の破壊、パレスチナの民間人虐殺の責任はアメリカが負う」旨の声明を発表し(11日)、パレスチナでの事態の推移によってはヒズブッラーの軍事行動の範囲や対象が拡大する可能性を示唆した。また、これまでハマースとイスラーム聖戦運動(PIJ)がイスラエルへの潜入作戦を実施しており、「アクサーの大洪水」攻勢の開始後、在レバノンのパレスチナ諸派が盛んにイスラエルを攻撃するという異例の展開にもなっている。

評価

 レバノンの正規軍やUNIFILには、ヒズブッラーなどとイスラエルとの戦闘の発生や激化を抑止する能力が乏しい。2006年夏など過去にも双方の大規模な衝突が発生しているし、イスラエル軍による日常的なレバノン領域侵犯が続いている。そうした中、ヒズブッラーは国際情勢や、レバノン国内での世論の動向に鑑み、イスラエルとの緊張状態を一定の範囲内に制御し、レバノン側から同党の制御に服さない主体が対イスラエル攻撃を実施することを防止してきた。ヒズブッラーは、シリア紛争に参戦することで規模を拡大し実戦経験を積んで軍事力を強化していると考えられているが、シリア紛争参戦の負担や、それに伴うレバノン内外での威信や名声の低下にも苦しんでいる。しかも、同党が活動するレバノンは2019年秋以来深刻な経済危機に見舞われており、2020年10月以降は任期が満了したアウン大統領の後任を選出できない政治空白の渦中にある。このような中、ヒズブッラーによる対イスラエル武装抵抗運動に対するレバノン国内の世論は厳しいと思われることから、たとえ同党を支援するイランからの「指令」や「働きかけ」があったとしても、活動場所であるレバノンでの政治的地位を失墜させるような作戦行動に出るのは難しいだろう。

 なお、ヒズブッラーとハマースとは、対イスラエル・アメリカ「抵抗枢軸」を構成する組織として密接な関係があり、ヒズブッラーからハマースへの様々な支援が行われている。しかし、両派の関係はシリア紛争によって複雑化している。ヒズブッラーは甚大な損害を出しつつ「イスラーム国」やイスラーム過激派を主力とする「反体制派」と交戦したが、ハマースはカタルやトルコの意向に従って後者に与する立場をとった。在シリアのハマースの構成員からなる民兵は、シリア紛争の一時期に「イスラーム国」への人材供給源になったとも考えられている。ハマースは、2022年秋に一応シリア政府と「和解」し、全面的に「抵抗枢軸」に復帰した体裁でいるが、シリア紛争の経緯を踏まえ、ヒズブッラー、シリア、イランがハマースに「親身に」連携する保証はない。

 現在のヒズブッラーの軍事行動は、イスラエル軍の資源をレバノン方面にひきつけてパレスチナでの戦闘に集中させないようにする牽制や陽動の水準にとどまっている。ハマースやPIJなどの在レバノンのパレスチナ諸派がこの水準を超えるような行動を企画した場合、ヒズブッラーはそれを阻止・統制する側に立つだろう。現下の情勢を俯瞰すると、ヒズブッラーがイスラエルとの大規模な交戦に発展するような行動に出ることは、同党にとって非常に危険性が高いといえる。ヒズブッラーとしては、ガザ地区でのパレスチナ人に対する殺戮や強制移住の強度や規模を勘案して自らの行動を決めるという、受け身の対応をとることになるだろう。

(協力研究員 髙岡 豊)

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