中東かわら版

№96 パレスチナ:ハマースが対イスラエル攻勢「アクサーの大洪水」を開始

 2023年10月7日早朝、ハマースの軍事部門であるイッズッディーン・カッサーム部隊(以下カッサーム部隊)は、同部隊のムハンマド・ダイフ司令官が対イスラエル攻勢「アクサーの大洪水」の開始を告げる演説動画を発表した。動画はおよそ11分で、その中で同司令官は、イスラエルによる侵害行為に歯止めをかけるために攻勢の実行を決定したと発表するとともに、第一弾としてロケット弾5000発を発射したと述べた。なお、同司令官はアクサー・モスク、イスラエルに囚われているパレスチナの囚人、パレスチナの土地がイスラエルによって侵害されていると述べた。また、ハマースのハニーヤ政治局長も同攻勢についての談話を発表し、攻勢実施の中心的理由は最近のイスラエルによるアクサー・モスクへの侵害行為であると述べた。同政治局長は、最近のイスラエルの侵害行為はアクサー・モスクをイスラエルの主権下に置くための行動だと指摘した。

 なお、アクサー・モスクについては、10月6日までのユダヤ教の祝祭期間中に連日1000人以上のユダヤ人入植者が同モスクに侵入し、礼拝するなどしていた。また、ヨルダン川西岸地区でも、入植者によるパレスチナ人や彼らの財産に対する攻撃が日常化しており、パレスチナ人と入植者・イスラエル軍との衝突で多数が死傷している。国連によると、ヨルダン川西岸の被占領地でパレスチナ人に対するユダヤ人入植者による攻撃事案が大幅に増加し、2023年年明けから8月初頭までににおよそ600件が記録されている。これに加えて、イスラエルの平和運動団体のピース・ナウによると、2023年1月から7月までにイスラエルが被占領地に建設した入植地の家屋が1万2855戸に達し、2012年に記録を取り始めて以来最多となった。

 一方、レバノンのヒズブッラーは今般の攻勢について、パレスチナの抵抗運動の指導者らと直接連絡を取りつつ戦況を注視しており、「今般の攻勢は、アラブ世界、イスラーム世界、国際社会、特にイスラエルとの関係正常化に努める者たちに対し、パレスチナの大義は解放まで生き続けるとのメッセージだ。」との見解を表明する声明を発表した。  

評価

 「アクサーの大洪水」攻勢では、パレスチナ側による攻撃の手段がロケット弾の発射程度に限られていた近年のイスラエルとパレスチナの抵抗運動との衝突とは異なり、カッサーム部隊の戦闘員が多数イスラエル側に侵入し、イスラエル兵・入植者を多数殺傷した上、およそ100人をガザ地区へ連れ去るという、大胆かつ衝撃的な作戦が行われた。また、作戦にはパレスチナ・イスラーム聖戦(PIJ)などハマース以外の抵抗運動・武装勢力諸派が呼応し、PIJもイスラエル人30人を捕獲したと主張している。重要な問題は、ハマースがなぜ、この時期にこのような作戦を行ったかということである。ハマースは、2023年4月~5月にイスラエルとPIJが交戦した際、PIJに対し非常に冷淡な態度をとり、連帯してイスラエルに抵抗しようとはしなかった。これは、ガザ地区を制圧する「与党」としての立場を守ることを優先し、イスラエルとの交戦で生じる打撃や支持基盤の動揺を回避したものと思われる。このようなハマースの行動様式に鑑みると、今般のような攻勢は予想しがたいものだった。

上記のヒズブッラーの声明のように、(イスラエルとサウジとの間の協議をはじめとする)アラブ諸国とイスラエルとの関係正常化を牽制・阻止するものであるとの解釈のあるが、カッサーム部隊やハマースは専らアクサー・モスクをはじめとするパレスチナへの侵害行為を攻勢実施の理由として挙げており、被占領地での客観的な状況の悪化と、それに対して国際的な同情も反響もほとんどなかったという環境を無視してはならないだろう。また、アラブ諸国とイスラエルとの関係正常化を今般の攻勢の理由と考える場合は、関係正常化がパレスチナ人民の生活水準、ユダヤ人入植地の建設や入植者による破壊行為、アクサー・モスクへの侵害行為などの諸問題の解決に全く役立っていなかったことを考慮すべきである。このほかにも、イスラエルの内政の混乱や社会の分断も、攻勢の実施時期の選択に関係している可能性もある。いずれにせよ、現地にの実態やプロパガンダも含む当事者が発信する情報を精査することこそが情勢分析の基本であり、これらを疎かにしてはならない。

(協力研究員 髙岡 豊)

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