中東かわら版

№75 イスラエル:深まる内政の分断――司法制度改革をめぐる対立の背景

 2023年以降のイスラエル内政は、過去にない混乱の様相を呈している。その原因は、ネタニヤフ政権が司法の独立性を弱めるための司法制度改革を強引に進めているからである。

 7月24日、ネタニヤフ政権は、最高裁権限を弱体化させる「合理性条項」法案を国会で採択した。これに対しこの法案に反対する勢力は、最高裁に同法案の破棄を求めて提訴した。同提訴を受けて最高裁は、9月中旬頃に「合理性条項」について、基本法(筆者注:イスラエルは憲法を制定しておらず、憲法に代わる基本法を制定。基本法は13の法律で構成される)と矛盾しないかについて審議する予定である。

 9月3日、与党の司法制度改革に反対の立場を表明している検事総長は、最高裁に「合理性条項」に関する意見書を提出、同法案を不適格と判断し、国会に差し戻すよう求めた。それに加えて、最高裁が「合理性条項」の審議を行う際の検事総長の役割である、法案に関する陳述を拒否することを明らかにした。これを受け与党は、民間の法律専門家らに陳述を委託することを検討しているが、与党内からは、検事総長の解任を求める声が上がっている。

 さらに翌4日には、ヘルツォグ大統領とイスラエル軍の法律専門家が、司法の独立はイスラエル民主主義の重要な基盤である、との見解を表明、同日にヘルツォグ大統領は司法制度改革について与野党間協議を仲介していることを明らかにした。与野党筋は、司法制度改革に関する政治協議を継続していることは認めたが、合意成立との報道は否定しており、最高裁の審議を前に双方の駆け引きが活発化している模様だ。

  

評価

 

 「合理性条項」の強行採決により与野党の対立が一層激化したのは当然であるが、より事態を複雑にしているのが、司法制度の改訂に関する手続が確定していない点である。単純化すると「ルール改訂の規則が確定していない中でのルール改訂が強行されている」状況である。

 一般的に提訴があった場合、最高裁は国会が可決した法案について基本法に照らして法的に適正であるかを審議し、不適正であれば国会に差し戻してきた。今回、最高裁は、自らの権限を弱体化させる法案について、法的に適正であるかを判断するよう求められている。その最高裁が「合理性条項」を法的に不適正と判断し国会に差し戻した場合、与党がどう対応するのかは不透明である。この点をメディアに質問されたネタニヤフ首相は、言葉を濁して明言を避けた。これは、最高裁の判断を与党あるいは国会が拒否する可能性を示唆しているが、国会が最高裁の指示に従わない場合のルールははっきりしない。国会が再度、同じ法案を可決して最高裁に送る、あるいは9月の審議で、最高裁は自分の権限を弱める法案が法的に適正であると判断することもあり得る。この場合、最高裁の権限は弱まることになる。この点について、ある野党指導者は、仮に最高裁が「合理性条項」を法的に適切と判断した場合は、次の選挙で政権を奪回し、今回可決された「合理性条項」を破棄する法案を採択すると発言している。こうなれば、選挙で政権が変わるたびに、国家運営の基本ルールが頻繁に変わる国になる。

 さらに深刻な問題は、与党に対する国民の不信感である。国民の大半が、連立政権が司法の独立性の弱体化を進めるのは、国家や国民ではなく、党益あるいは党首の個人的な利益のためと見なしている。司法制度改革を強引に進める政権の首相自身が、汚職・腐敗容疑で裁判中である。本人は自分が被告である裁判と司法制度改革はまったく無関係であると主張しているが、司法制度改革の一つの標的は、ネタニヤフ首相の裁判に多大な影響力を有する検事総長の権限の弱体化である。この点については与党リクードの議員からでさえ、継続中の裁判の被告である首相自身が司法制度改革に関与するのは利益相反ではないかとの声が上がっている。

 当然ながら国民の大半は、首相の弁明に納得しておらず、結果として、司法制度改革に反対する抗議運動が全国規模に拡大した他、軍の予備役勤務を拒否する者の増加も引き起こしている。イスラエルでこうした例は過去にない。イスラエル人男性には懲役(32カ月)後に長期間にわたる予備役の義務があるが、今回はかなりの予備役兵士が呼び出しを拒否している。彼らは、自分たちが予備役の義務を果たすのは国家のためであり、特定の政党や特定の政治家の利益のためではないと主張している。とりわけ影響が大きいのは、空軍の熟練の予備役パイロットが大量に勤務を拒否したことである。報道によれば、経験豊富な予備役パイロットの勤務拒否は、空軍の一部部隊の運用に支障をきたし、国防の要である空軍の運用能力の低下に繫がる。これは即ち、イスラエルにとって安全保障上の脅威を意味している。この事を熟知する国防相は、野党との合意による司法制度改革を主張していたが、ネタニヤフ首相はその要請を退けた。

 また半年以上にわたって国内では大規模な抗議デモが継続されている。同デモは週末(土曜日)に実施され、9月初旬時点で連続実施が30週を超えた。しかも、毎回、全国で数万から10万人が参加している。このような大規模デモが、かくも長期にわたり実施されている事例は建国以来初めてである。

 イスラエルの経済界は、司法制度改革の強行が順調な経済に悪影響を与えるとの懸念を表明している。報道によればハイテク企業の多くが、外国に拠点を移転したか移転する準備を開始している。イスラエルのハイテク産業の根幹は人材(頭脳)である。その頭脳集団は、与党が進める司法制度改革を歓迎していない。ロシアのウクライナ侵攻以降、大量のロシア人IT技術者が海外流出したような現象が、イスラエルで起きないとの保証はない。

 イスラエルにおける司法の独立の弱体化は、イスラエル人が自慢する西洋型の民主主義の変質あるいは終息を意味するかもしれない。ネタニヤフ政権が、司法制度改革の名目で司法の独立性を弱める場合、イスラエルは、建国世代が夢見た国とはかなり異なる国になるだろう。

 

【参考】

「イスラエル:司法改革をめぐりネタニヤフ政権と野党・法曹界・学生が対立」『中東かわら版』2022年度No.133。

 

(協力研究員 中島 勇)

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