中東かわら版

№63 イラク:在イラク・スウェーデン大使館襲撃・放火事件

 2023年7月20日、サドル派が組織したデモ隊が在イラク・スウェーデン大使館に突入し、大使館の建物に放火した。大使館員らに負傷者はいない模様だ。サドル派は、20日にストックホルムの在スウェーデン・イラク大使館前で、コーランの写本やイラク国旗を燃やす示威行動を実施することをスウェーデン当局が許可したことに抗議するデモを呼び掛けていた。なお、ストックホルムでの示威行動を企画、実施(コーランの写本は燃やさずに踏みつけた)した者は、2023年6月28日にストックホルムの大モスク前でコーランの写本を焼却したのと同一人物で、イラクからの難民(あるいは移民)の男性である。

 スウェーデンの外務省は、襲撃を非難し、容認できないことだと表明した。アメリカ政府も、襲撃を非難するとともに、イラクの治安部隊がデモ隊による襲撃を阻止するのを躊躇したのは容認できないと発表した。イラク政府は、スーダーニー首相が緊急閣議を主宰し、スウェーデン当局が示威行動実施を許可したことについて、スウェーデンに駐在するイラクの臨時代理大使を引き上げさせ、イラク駐在スウェーデン大使にも退去を要求した。また、イラク政府はスウェーデンの通信企業のエリクソン社に対する、イラク領内での事業認可を停止した。一方、イラク政府は大使館への襲撃そのものは「治安上の侵犯」とみなし、襲撃の首謀者の逮捕、職務を怠った警備担当者の訴追を決定した。

 なお、イラクで活動するシーア派民兵諸派は、SNSでコーランの写本を焼却した者への殺害予告や、アメリカとスウェーデンを非難する書き込みなどを発信しているが、現時点では本格的な論評や攻撃扇動、脅迫などの文書を発信していない。 

評価

 イラクに限らず、世界各国に存在する大使館は外交関係に関するウィーン条約に基づき敷地の不可侵、接受国が侵入や破壊などの侵害行為を防止する義務、損害が発生した場合の原状回復と賠償義務、事前予防の義務が定められている。しかし、中東ではしばしばこの原則に反して大使館などの在外公館が襲撃される事件が発生しており、イランでのアメリカ大使館人質事件(1979年)、ムハンマドの風刺画掲載問題の際のイラン、シリアなどでのデンマーク、フランス、イギリスなどの公館への襲撃(2006年)、ムハンマドについての映画製作問題の際のイエメン、リビア、スーダン、エジプトでのアメリカ公館襲撃(2012年)が著名だ。特に、2012年のリビアのベンガジでのアメリカ領事館襲撃の際には、領事館に出張中だった当時の在リビア・アメリカ大使やアメリカ人の警備要員複数が殺害された。また、2020年1月の在イラク・アメリカ大使館前に対する投石や放火を伴う抗議行動が発生した際には、これをイランの扇動と主張する当時のトランプ政権が、バグダードにてイランの革命防衛隊のスライマーニー司令官と人民防衛隊のムハンディス副司令官を暗殺する事件に発展した。

 また、中東の諸国間でも、国際関係や政治状況に応じて大使館への襲撃がしばしば発生しており、大使館の不可侵という原則が接受国の政治的な意思表示や、接受国の国民の感情的な振る舞いによってないがしろにされることがある。

 スウェーデンでのコーランの写本の焼却や侵害行為は、ムスリムが多数居住する諸国から非難され、経済的なボイコットも呼びかけられている。しかし、コーランの写本への侵害行為をイスラーム尊重や多文化尊重という倫理的観点から非難して対抗措置をとるとしても、6月末からの一連の動きの中でイラク政府がスウェーデン政府に対し実行者の引き渡しを要求したり、示威抗議の開催を許可したことの責任を追及したり、コーランの写本への侵害やそうする意思の表明を処罰する法規の制定を要求したりすると、これらは内政干渉となろう。ここに、今般の大使館襲撃事件で、大使館を警備できなかったという、独立国としての資質を問われる失態が新たに生じた。イラク政府は、国内の政治勢力や民兵の扇動を抑えることと、他国と外交関係を結ぶ上で不可欠の義務を果たすことのいずれもできなかったという、内外両面での失点をした。長期的には、コーランやイスラームへの侵害行為への反発という感情面での状況の悪化以上に、イラク政府が外交上の義務を果たすことができなかったことへの諸外国からの不信感が、同国の外交や国際的な地位に悪影響を及ぼすだろう。

(協力研究員 髙岡 豊)

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