中東かわら版

№61 トルコ:ロシアが黒海穀物イニシアティブからの離脱を表明

 2023年7月17日、ロシアは黒海穀物イニシアティブからの離脱を表明した。穀物回廊協定とも称されるこの協定は、国連とトルコの仲介により、2022年7月22日にイスタンブルでロシア、ウクライナ、国連、トルコの4者が署名したもので、合意発効によりウクライナは黒海経由で穀物を輸出することが可能となった。これまでに3回、合意の延長がなされ、直近の5月18日に延長で合意した期限は7月17日中となっていたが、ロシアのペスコフ報道官は、期限を待たずに「事実上終了」したと通告した。

 ロシアの離脱表明は、2014年にロシアが併合したクリミア半島とロシアとを結ぶクリミア橋が7月17日にウクライナによって攻撃を受け、市民2人が死亡した数時間後に行われた。協定離脱はウクライナからの攻撃によるロシア側の報復措置ともみられるが、ペスコフ報道官はこうした見方を否定し、プーチン大統領は以前から協定の実施状況に不満を表明してきたと強調した。

 ロシア側の発表を受け、エルドアン大統領は8月にトルコ訪問を予定しているプーチン大統領と会談前に電話会談を通じてこの問題を協議する機会があるとし、外交努力を強化する意向を示した。離脱表明から一夜明けた7月18日、フィダン外相はロシアのラヴロフ外相と電話会談し、同問題を議論した。

 ロシアの対応について米国のブリンケン米国務長官は、ロシアが穀物取引を「武器として利用している」と非難した他、NATOのストルテンベルグ事務総長は、トルコと国連の努力にもかかわらず、ロシアが離脱を決定したことを強く批判した。一方、ウクライナのクレーバ外相は、「ロシアは黒海穀物イニシアティブを徐々に潰そうとしている。ロシアの離脱表明により、世界中の穀物価格が上昇し、アジアやアフリカの最も脆弱な地域の人々に影響を与える」と強調した。

 

評価 

 黒海穀物イニシアティブによって、ウクライナは南部オデーサ港から小麦、大麦を含む製品を、ロシアは米国とEUの制裁を受けずに穀物や農業用肥料を輸出できるとの合意を果たした。しかし、ロシアはかねてから自国産穀物の適切な輸出が妨げられているとの不満を表明してきた。今次決定についてもペスコフ報道官は、同合意がウクライナのためにしか機能してない、今後は約束や保証ではなく、ロシアがイニシアティブに戻るのは、具体的な成果を得られた場合に限ると主張している。

 ロシアの離脱の要因についての報道ぶりを見る限り、トルコがスウェーデンのNATO加盟承認の方向に舵を切ったことでロシアを怒らせた、あるいはウクライナが7月17日にロシア・クリミア間を結ぶ、ケルチ橋の攻撃を行ったことへの報復措置との見方が大勢を占める。他方、トルコは、ロシアの離脱決定はこうした理由からではなく、2022年7月の合意内容が遵守されなかったからとの見解を示している。同合意の書面上では、ロシア産穀物や肥料の輸出は可能とされているが、その実現には多くの障壁が存在する。例えば、米国、EUの経済制裁で、ロシア製品を運搬船に対する保険の取り扱いがないことや、輸出業務を執り行うロシア農業銀行(RusAg)が米国の制裁リストに掲載されたことによって国際送金システム(SWIFT)から締め出されていることなどである。とりわけロシアは、SWIFTからRusAgの開放し、これを使用して受取国が支払可能になることを望んでいる。国連のグテーレス事務総長は、黒海穀物イニシアティブ合意締結時にロシア側にこれを約束したが、SWIFTのシステムは国連ではなく欧米の管理下にあるため、国連は影響力を行使できない。ロシアは、穀物取引継続の条件として、少なくとも2022年7月の合意の枠内で制裁が緩和されることを望んでいるが、米国はこれに反対する姿勢を崩していない。

 ロシア・ウクライナ戦争は、対外関係に行き詰っていたトルコの外交政策を見直す機会を与えた。モントルー条約の適用でトルコはロシア、ウクライナ双方との距離を保ち、NATO加盟国の中で唯一、両国との関係を維持してきた。黒海穀物イニシアティブの締結は、そうしたトルコの外交政策の集大成とも言える。今後、エルドアン大統領がイニシアティブに再度ロシアを引き戻すことができれば、つまり、国連事務総長が解決できずにいるSWIFT問題を解決できれば、トルコは大きな外交成果を収めることが可能となり、ユニークな役割は続くだろう。だが、失敗に終われば画期的な枠組だったこの合意は勢いを失い、国際社会、とりわけアフリカや中東諸国の食糧危機の懸念が再発する可能性がある。 

 

【参考】

「トルコ:黒海からの穀物輸出でロシア・ウクライナが「歴史的」合意」『中東かわら版』2022年度No.56。

「トルコ:ロシア・ウクライナ合意による穀物輸出実施に向けた「共同監視機構」が発足」『中東かわら版』2022年度No.59。

№114 トルコ:ロシアが黒海穀物輸出の無期限停止宣言から方針転換『中東かわら版』2022年度No.114。

 

金子真夕「ウクライナ戦争がトルコに与える影響――トルコにもたらす好機と危機」『中東研究』第546号。

 

(主任研究員 金子 真夕)

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