中東かわら版

№156 イスラエル:司法改革反対運動の拡大

 ネタニヤフ政権が発表した司法改革案(『中東かわら版』No.133参照)に対する反対が、社会全体に広がり、イスラエル政界だけでなく軍の戦闘準備態勢に影響を及ぼす事態となっている。司法改革案は、最高裁の法律審査権を大幅に制限し、判事の任命に政府の意向が反映されやすくする内容であるため、社会の様々なセクターから、民主主義における三権分立の原則や司法府の独立を著しく脅かすという反対意見が噴出した(下表を参照)。

 司法改革案の全容が明らかにされた1月上旬以降、市民団体「クオリティー・ガバメント運動」が呼び掛ける司法改革反対抗議デモが毎週土曜日に繰り返されている。抗議デモには、野党党首や大臣経験者の他、学生、司法関係者、退役将校も参加した。2月11日のデモには、テルアビブで14万5000人、その他の都市で計8万3000人が参加し(主催者発表)、リブニ元法相やダン・ハルツ元参謀総長も参加した。また3月1日のデモでは、参加者は国道を封鎖したり、電車の運行を止めたりした。

 注目すべきは、反対運動が法曹エリート、軍・治安エリート、予備役兵にまで広がった点である。最高裁長官や法務長官経験者などの法曹エリートは司法府の独立と法の支配を監督してきた者であり、参謀総長・シンベト・モサド長官経験者は、安全保障の脅威と常に対峙する中で文民統制と社会の安定化に尽力した者である。予備役兵は、有事の際に動員される重要な人員である。つまり、ネタニヤフ政権は、イスラエルの民主主義と国防の要を構成するセクターから批判を受けたことになる。ハレヴィ参謀総長は、多くの予備役兵が司法改革案に反対し、勤務拒否を宣言したことにつき、抗議行動が軍の作戦能力を阻害するほどに拡大することを懸念していると、ネタニヤフ首相に伝えた。野党のガンツ党首(国民統一党・元参謀総長)やラピード党首(イェシュ・アティド党)も、予備役兵の勤務拒否は安全保障上許されない行為であるため、国防任務を放棄しないよう呼びかけた。

 社会全体に広がった抗議運動について、ネタニヤフ首相は「無責任な行動を止めよ」「無政府主義者」とコメントした。他方、ヨッシ・コーヘン前モサド長官やシンベトのロネン・バル長官は、ネタニヤフ首相、レヴィン法相、オハナ国会議長に対し、反対運動の広がりによる社会の分断を懸念し、改革案について政治家の中で合意形成に努めるべきと意見した。現在、政治・社会の混乱を収束するべく、司法改革案の内容について与野党協議が行われているようである。

 

司法改革案に反対する動き(2022年12月末~2023年3月)

法曹界

・イスラエル弁護士会会長「改革案はイスラエルを独裁国家に変える」(1/6)

・弁護士400人が抗議デモ(1/12)

・マンデルブリット前検事総長など元検事総長・最高裁長官の改革反対公開書簡(1/12)

・ハユート最高裁長官「改革案は民主主義への致命的な打撃」

・バハラヴ・ミアラ法務長官の改革案への意見声明「政府に実質的に抑制力のない力を与え、統治の民主主義的性質に根本的な変革を迫る内容」(2/2)

・マンデルブリット前法務長官「司法改革案は体制クーデタ」(2/28)

・他多数

軍・治安

・元空軍将校1197人の改革反対公開書簡(2022/12/26)

・予備役兵と退役歩兵数百人が最高裁に向けて抗議行進(2/8)

・元シンベト要員460人がシンベト元長官宛てに書簡送付(2/21)

・海軍潜水艦部隊の予備役・退役兵300人の公開書簡(2/22)

・モシェ・ヤアロン元国防相、ナダヴ・アルガマン元シンベト長官、ユヴァル・ディスキン元シンベト長官、タミル・パルド元モサド長官など46人が、ヘルツォグ大統領宛てに司法改革反対の表明を求める書簡を送付(3/1)

・空軍予備役兵37人(パイロット、F15飛行中隊ナビゲーター)が訓練への不参加を表明(3/5)

・複数の空軍元司令官がネタニヤフ首相・ガラント国防相宛てに書簡送付(3/6)

・空軍将校20人がハレヴィ参謀総長に、司法改革が実現した場合、多数の現役・予備役パイロットが勤務拒否する恐れがあると報告(3/7)

経済界

・イスラエル銀行金融委員会委員が改革に反対して辞任(1/23)

・エコノミスト数百人が改革反対の公開書簡(1/25)

・ヤアロン・イスラエル銀行総裁「改革は投資家を逃避させる」(1/25)

・複数の銀行CEOが改革案に懸念を表明(1/27)

官僚

・元事務次官など50人が改革反対の公開書簡(1/30)

国外

・トゥルク国連人権高等弁務官が懸念を表明(2/21)

・西側諸国の駐イスラエル大使が懸念を表明(3/2)

・複数の在米リベラル派ユダヤ団体が懸念を表明

 

評価 

 連立与党の司法改革案は、端的に言えば、政府にすべての法律を作る権限を与える内容である。立法過程における与野党の協議や司法府の立法府・行政府に対するチェック機能は弱められ、イスラエルの民主主義が著しく後退する恐れがある。行政府(政府)が立法府と司法府に対して優位に立てば、法律が時の政権の利害関係で変更されうるため、経済界からも反対の声が上がった。JPMorgan社はイスラエルへの投資リスクが増大していると評価し(2月3日)、2月21日に国会で改革案の第一読会が通過した後は、通貨シェケルが1ドル=3.649シェケルに下落し、2020年4月以来の低さとなった。

 現在の反対運動の広がりは、上述のコーヘン前モサド長官やバル・シンベト長官の懸念の通り、社会の分断を深刻化させ、その状況を利用してパレスチナのハマースやPIJ、イラン、ヒズブッラーがイスラエルを攻撃する機会を与えうる。したがって、まずは、司法改革案を何らかの形で修正する方向で与野党が協議することが重要となる。しかし、ネタニヤフ首相にとって、これも難しい判断と思われる。司法改革案を野党の要求を組み込んで修正した場合、改革を強く推す極右政党が連立を離脱する可能性があるためである。ネタニヤフ首相は、民主主義を軽視する極右政党と連立を組んだために、法曹界や国防エリートから強い反対を受けただけでなく、連立維持の難しい舵取りを迫られている。

 

【参考】

イスラエル:司法改革をめぐりネタニヤフ政権と野党・法曹界・学生が対立」『中東かわら版』No.133。

 

(上席研究員 金谷 美紗)

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