中東かわら版

№115 アフガニスタン:デュランド・ラインを巡る国境問題の再燃への懸念

 2022年2月24日、デュランド・ライン(注:1893年に英領インドのデュランド外相と、アフガニスタンのアブドゥルラフマーン国王との間で合意されたアフガニスタン・パキスタン国境)上に位置する南部カンダハール州スピーン・ボルダック地区で、ターリバーン戦闘員とパキスタン兵士との間で軍事衝突が発生した。同日付『トロ・ニュース』(民間資本)によると、同地区にある病院関係者は、この衝突により少なくとも死者2名、負傷者27名が出たことを確認した。同日付『RFE/RL』(米国資本)は、銃撃戦は数時間続いて国境検問所は閉鎖された、死傷者のほとんどは民間人である、と報じた。

 この事件に関し、ターリバーンのムジャーヒド情報文化副大臣代行は24日、「残念ながら、最初にパキスタン警備隊から発砲された」との見解を示し、現場の状況はコントロール下にあり、真相の究明を続けるとツイートした。現時点で、パキスタン側からの反応は確認されていない。

 2021年8月にアフガニスタンから米軍が完全撤退し、ターリバーンが実権を再び掌握した後の同年12月頃から、パキスタン兵士がデュランド・ライン上に設置した鉄条網を、ターリバーン戦闘員が撤去する行為が散見されるようになってきた。同問題に対処するため、2022年1月下旬、パキスタンのユースフ国家安全保障顧問がカーブルを訪問し、その後、意思疎通メカニズムとして省庁間合同委員会が設置された。

評価

 6カ国と国境を接する陸封国アフガニスタンでは、隣接国との間での小競り合いは珍しいことではない。多くの場合、死傷者が出るまでには至らない。今回、長らく火種として燻ってきたデュランド・ラインを巡って死傷者が生じたことで、同問題が俄かに再燃する兆しを見せている。

 デュランド・ラインは、19~20世紀初頭にかけて、ロシア帝国と大英帝国との間でグレート・ゲームが演じられていた中、英露の勢力圏を分ける境界線として引かれた。アブドゥルラフマーン国王は、パシュトゥーン人の土地が削られるため難色を示したが、大英帝国側が報奨金を引き上げたため、それと引き換えにやむなく合意したとされる。しかし、同国境線については、1947年に分離独立したパキスタンは認めているものの、アフガニスタンが「押し付けられた国境」だとして認めておらず、常に両国間での係争となってきた。

 ターリバーン暫定政権は、パキスタン政府とパキスタン・ターリバーン運動との交渉の仲介役を担うなど、良好な関係の構築を志向してはいる。国境問題についても、省庁間合同委員会も設置され、対話を通じて解決するチャンネル自体はある。この点は、この問題の更なるエスカレーションを抑制し得る。

 しかし、近年、米国が中東からの過剰な軍事的関与を減らし始めて以降、各地で様々な紛争や政変が見られてもいる。こうした趨勢を踏まえれば、これまで棚上げにされてきた問題が再び噴出する危険性は排除されないことから、今後の展開を慎重にフォローする必要がある。

 

【参考情報】

*関連情報として、下記レポートもご参照ください。

 

 <中東分析レポート>【会員限定】

・「ターリバーン統治の今後の方向性~行動原理と諸課題に着目して~」R21-12

(研究員 青木 健太)

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