中東かわら版

№111 サウジアラビア:第二の建国記念日が意味するもの

 2022年1月27日、国王令を通じ、同年より2月22日を建国記念日(Founding Day)とすることが発表された。既存の9月23日の建国記念日(National Day)はそのままで、今後は2つの建国記念日が併存することになる。9月23日は1932年、アブドゥルアジーズ国王(1876~1932年)の下、現在の第三次サウジアラビア王国が完成したことに因んだもの。一方2月22日は、1727年にサウード王家の始祖であるムハンマド・イブン・サウード国王(第一次王国初代国王)が、リヤド郊外ディルイーヤの首長となったことに由来する。なおその後、ディルイーヤを中心に第一次サウジアラビア王国が興った(1744年)。第二の建国記念日について、ディルイーヤ門開発局(DGDA:Dir’iya Gate Development Authority)は、これまで注目されてこなかったサウード王家の黎明期に光を当てることの意義を強調した。

 

評価

 第二の建国記念日が持つ意味として、まず挙げられるのは、統治王族の足跡を通してディルイーヤの存在を改めて周知することである。ディルイーヤの中心であるトライフ地区は2008年にUNESCO世界遺産に登録され、特に2019年の観光査証の発給以来、サウジアラビアを代表する観光地の一つとして宣伝されてきた。DGDAは国家改革計画サウジ・ビジョン2030の一環で2017年に設立されて以降、ディルイーヤの開発と観光価値の創造に取り組んでおり、今般の記念日設定はこうした取り組みと連動したものと考えられる。

 もう一点、興味深いのは、第二の建国記念日が1744年でないことだ。1744年は、ムハンマド・イブン・サウード国王がイスラーム法学者ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブと同盟を結び、後に「ワッハーブ主義」と呼ばれる厳格なイスラーム解釈に基づいた国家形成に着手した年である。これはサウジアラビアにとってイスラーム国家としての自負の中心であり、建国神話とでも呼ぶべきエピソードだ。イスラームとは無関係なエピソードで統治王族の足跡を物語る新たな建国記念日には、脱イスラーム的な国民アイデンティティの形成を促そうとの思惑も垣間見られる。

 ちなみに、もとよりサウジアラビアは祝祭日が少ない。ラマダーン月明けの祭、巡礼月の犠牲祭というイスラームの二大祭日はあるが、周辺のイスラーム諸国で見られる預言者ムハンマドの生誕祭やイスラーム暦新年等は祝祭日ではない。これは、サウジアラビアがイスラームに基づいた統治を国是とすることを考えれば一見矛盾しているようだが、実際は逆である。つまり、同国が純粋なスンナ派イスラームを信奉するからこそ、預言者の時代にはなかった彼の生誕祭や、ヒジュラ暦の新年を祝う習慣がないのだ。この点、第二の建国記念日はサウジアラビアにとって貴重な祝祭日の追加となり、わずか一日だがそれなりの経済効果も期待できよう。

(研究員 高尾 賢一郎)

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