中東かわら版

№101 アフガニスタン:ターリバーンと国民抵抗戦線との会合をイランが仲介

 2022年1月10日、ターリバーンのモッタキー外相代行は、反ターリバーン勢力である国民抵抗戦線のメンバーとテヘランで対話したと発言した。モッタキー外相代行率いる一団は1月8~10日、イランのアブドゥルラヒヤーン外相らと会談するためにイランを訪れており、同滞在中にイランの仲介により会合が行われた。

 1月11日付「BBCペルシャ語放送」は、会議に同席したシャムス元バードギース州知事の発言を引用しつつ、ターリバーンと国民抵抗戦線との間の会合は少なくとも3回にわたって開催され、アフマド・マスード(タジク人。故アフマド・シャー・マスード司令官の息子で中央部パンジシール渓谷で影響力を有する)とイスマーイール・ハーン(タジク人。元軍閥司令官。西部ヘラート州で影響力を有する)も参加したと報じた。シャムス元州知事によると、その内2回の会合にイラン政府の代表者も参加した。会合では、国民抵抗戦線側からターリバーン側に、①包摂的な政権樹立、②人権、③表現の自由に関する要求事項が伝えられ、ターリバーン側は指導部に持ち帰って検討することとなった。モッタキー外相代行は記者団に対し、「マスードとハーンに、何の心配もなくアフガニスタンに帰還できると約束した」と述べた。

 イランのハティーブザーデ外務報道官は記者団からの質問に答え、「今回の滞在中、イランはたしかに会合をホストした。異なるアフガニスタン人グループ間で良い対話が行われてきており、我々はその結果がアフガニスタン人民の明るい将来につながることを期待する」と発言し、仲介した事実を認めた。

評価

 今次会合は、正式な和平交渉という位置づけのものではないが、アフガニスタン国内が人道危機に直面する中、反目する勢力間で信頼醸成に向け直接対話が行われたことには意義がある。多民族国家であるアフガニスタンでは、あらゆる民族を包摂した政権を樹立することが政治の安定のために不可欠である。しかし、20年前、戦後復興のロードマップを議論したボン会合(2001年12月5日)にターリバーンは招かれず、権力の外に置かれたことが将来に禍根を残した。ターリバーンが復権した現在、旧北部同盟(1990年代に反ターリバーンを掲げ結集した勢力)を権力の外に置けば将来の不安定要素となる。

 このように今次会合は前向きな動きではあるが、今後の趨勢を過度に楽観することはできない。何故なら、ターリバーンが、他勢力に根幹的な権力分与をする可能性は低いからである。ターリバーンは包摂的な政権作りをしていることを対外的にアピールするべく、少数民族ハザーラ人(シーア派)やパンジシール勢力に副大臣級ポストを与えてはいる。しかし、ほぼ全ての閣僚ポストをターリバーン構成員が独占する状況に変化は見られない。一方の国民抵抗戦線側にしてみても、今回、武力放棄を約束したわけではない。今後の状況次第では、反ターリバーン勢力が結集し、反撃に打って出る可能性も完全には消えてはいない。

 もう一つ今回注目すべきは、イランが対話を仲介したことで、アフガニスタン外交での存在感を見せていることだ。米軍撤退後、中国、ロシア、及び、近隣諸国の影響力が全般的に拡大したが、各国とも政治的に機微な話題には慎重な態度を維持してきた。そうした中、イランは、数多くの反ターリバーン勢力有力者を退避先として受け入れつつ、ターリバーンとのチャンネルも開拓してきた。そして、こうした外交アセットを活用して、国民和解に向けた機運の高まりを演出した。過去の軋轢(1998年のターリバーンによるイラン人外交官殺害事件など)を他所に、イランは、近年は「地域からの米国の放逐」でターリバーンと目標認識を一致させてきた。イランがターリバーンに影響力を確保する背景には、「イスラーム国」の伸長を抑える上でターリバーンからの協力が不可欠である事情もあろう。イランは、巧みな外交を展開し、自国に有利に働く手札を増やした格好となった。

 

【参考情報】

*関連情報として、下記レポートもご参照ください。

<中東かわら版>

・「アフガニスタン:ターリバーンが暫定内閣を発表」No.58(2021年9月8日)

・「イラン:アフガニスタンに関する近隣7カ国外相会合を主催」No.76(2021年10月29日)

 

 <中東分析レポート>【会員限定】

・「アフガニスタン国民統合に向けた課題と今後の展望 ――「部族」に着目したターリバーン暫定内閣の分析――」R21-06

(研究員 青木 健太)

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