中東かわら版

№50 アフガニスタン:アフガニスタン政府が崩壊

 2021年8月15日、ターリバーンが首都カーブルの大統領府を攻略した。これにより、2001年12月に発足した暫定政権期を含めて約20年間続いたアフガニスタン・イスラーム共和国(以下、アフガニスタン政府)が崩壊した。8月6日に南西部ニムルーズ州都ザランジを陥落させてから10日間という短期間に、凄まじい勢いで政権が崩壊したことになる。

 ターリバーンは13日までに全34州の内18州の州都を陥落させ、14日には北部の要衝マザーリシャリーフを、15日朝には東部ナンガルハール州都ジャララバードを制圧した。先立つ12日には西部ヘラート州、及び、南部カンダハール州も掌握していたことから、カーブルを除く主要都市すべてがターリバーンの手中に収まる事態に陥った。更に、ターリバーンがカーブル周辺の中央部ローガル州やワルダック州にまで迫ったことで、15日昼頃にはカーブルが四方から包囲される絶体絶命の状況となった(下表参照)。

 

表 米軍撤退発表からカーブル陥落までのタイムライン

日にち

出来事

2021

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4

14

バイデン米大統領が9月11日(注:その後8月末に変更)までの米軍撤退を発表

8

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6

南西部ニムルーズ州都ザランジが陥落

12

中部ガズニー州、西部ヘラート州、南部カンダハール州の州都が陥落

13

中央部ローガル州の州都が陥落

14

北部バルフ州都マザーリシャリーフが陥落

15

東部ナンガルハール州都ジャララバードが陥落

15

バイデン米大統領が米軍5000名の人員退避ミッション派遣を表明

15

中部ワルダック州の州都が陥落

15

ガニー大統領が国外逃亡と報道される

15

カルザイ前大統領が調整会議を設立

15

ターリバーンが大統領府を掌握

(出所)公開情報をもとに筆者作成。

 

 

 緊迫する状況下、ターリバーンは15日昼頃、カーブルは大都市であり、権力移行プロセスを平和裏に進めるためにも武力を用いて入城しないようムジャーヒディーン(注:配下の戦闘員を指す)に指示を出した。また、時を同じくして、アフガニスタン政府のミールザクワール内相代行がビデオ・メッセージを発出し、移行政府樹立に向けて協議が進められている、カーブルが攻撃を受けることはない、よって国民は日常生活を続けるようにと呼び掛けた。その時点で、ターリバーン・アフガニスタン政府間で円滑な権力移行が行われるものと予想された。

 しかし、同日夕方、ガニー大統領が国外脱出したことが報じられると、ターリバーンは態度を一変、カーブルに治安要員がおらず秩序が保たれていないとして、ムジャーヒディーンにカーブル入城を指示した。即座にターリバーンはもはや警備が手薄となった大統領府に進攻し、警備隊との交戦を一切せずに大統領府を掌握した。

 ガニー大統領が国外逃亡したことで生じた「権力の空白」状態を危惧し、同日、カルザイ前大統領は、国内の無秩序状態を回避し、権力移行プロセスを平和裏に進めるために「調整会議」を設立すると発表した。同会議は、カルザイ前大統領の他、アブドッラー国家和解高等評議会議長、及び、ヘクマティヤール・イスラーム党指導者から構成されるもので、今後ターリバーンと権力移行について協議すると考えられる。他方、ターリバーンが一方的に「アフガニスタン・イスラーム首長国」を宣言する可能性もあり、流動的で混沌とした状況が続いている。

 ターリバーンがカーブル攻略を進める中、米国のバイデン政権は米兵5000名を派遣し、米国及び同盟国の人員撤退を遂行すると表明した。既にカーブルから国外に脱出するルートはカーブル国際空港だけに限られており、各国大使館は文民要員を空港に集結させ、大型輸送機で退避させるミッションを遂行中である。

評価

 米国中枢を襲ったかつてないテロ事件9.11を経て、米国は「テロとの戦い」を開始したが、ターリバーンが軍事的に完全勝利し20年目の節目を迎えた。ターリバーンによる大攻勢は、バイデン大統領が米軍撤退を発表した4月14日以降に始まっており、同大統領の無条件完全撤退の判断がアフガニスタン国内の治安情勢に悪影響を与えたことは明白である。巨額の軍事・民生支援を注ぎ込み、その結果、当時の軍事行動の標的であったターリバーンに敗北したバイデン大統領に対する、国際的な評価は厳しいものとなるだろう。同様に、最後まで何らかの政治的な解決を期待していたアフガニスタン国民からガニー大統領に向けられた失望感は筆舌に尽くしがたく、同大統領はアフガニスタンの歴史に汚名を刻むことになった。

 ターリバーンがこれ程までの軍事的勝利を収めることができた背景として、いくつかの要因が挙げられる。第一に、アフガニスタン国家治安部隊(ANSF)は装備・兵力ではターリバーンを上回っていたものの、忠誠心、士気、訓練度の低さ、損耗率の高さなどで多くの質的な問題を抱えていたことがある。ターリバーンは今年5月~7月にかけて主に農村部で勢力圏を拡大させ、それを足掛かりに州都への攻勢を開始した。8月6日にニムルーズ州都ザランジが陥落したことで、ANSF隊員の中でモラル崩壊が起こり総崩れとなった。

 第二に、ターリバーンが政府内部の人物や部族長老を介し、水面下の交渉を通じて無血開城を迫る策略を取った点も大きい。実際、一部を除き、多くの州都では交戦がないままに政府側からターリバーン側に州知事庁舎や治安機関基地や刑務所が明け渡された。1998年のターリバーンによるマザーリシャリーフ攻略においても、相手となった軍閥側指揮官の裏切り、寝返り、及び、内通によって反ターリバーン勢力が瓦解した経緯があった。歴史は繰り返された。第三に、米軍撤退が生んだ「力の真空」が予想以上に大きかったこともある。米軍からANSFに対する近接航空支援やロジ支援がなくなったことで、ANSFが独力で作戦を立案・実行せねばならなくなり、劣勢に追い込まれた。このようにターリバーンは、背後での国家的関与が疑われる程の高度に洗練された軍事戦略を用いて、敵側の急所を突き、成功を収めた。

 現在、ターリバーン政権の再興が既定路線となったことから、先ずは事実を受け入れ、今後の権力移行プロセス、政治体制、及び、統治方針がどのようなものになるのかに着目する必要がある。国際的に承認された国家はアフガニスタン政府であったことから、停戦の発効を含め、どのような手続きを経るかが重要だ。特に、1996年~2001年のターリバーン「政権」は、サウジアラビア、UAE、及び、パキスタンの3カ国からしか承認されていなかったことから、今回は国際的正統性を求めてカルザイらと対話に臨む可能性はある。次に、アフガニスタン国民の中には国外脱出を試みる者がいる一方で、裕福でない市井の人々は、将来の政治体制や統治方針に関心を寄せている。ターリバーン指導部は声明で、市民の生命や財産を脅かすことはないとの態度を示してはいる。他方、ターリバーン制圧地域から伝えられる様々な事例をみれば、指導部の方針と末端兵士の振る舞いの間には大きな乖離がある。最後に、米国がアフガニスタンに軍事介入した当初の目的であった「再びテロの策源地になることの阻止」を実現できるのかを、多角的に分析・評価する必要があるだろう。

 

【参考情報】

*関連情報として、下記レポートもご参照ください。

<中東かわら版>

・「アフガニスタン:6州の州都がターリバーン側に陥落」No.46(2021年8月10日)

・「アフガニスタン:中部ガズニー州・西部ヘラート州・南部カンダハール州を含む7州の州都がターリバーン側に更に陥落、激しい攻防が続く」No.49(2021年8月13日)

(研究員 青木 健太)

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