中東かわら版

№38 アフガニスタン:米軍撤退開始後の軍事情勢・和平プロセスにおける新たな展開

 2021年4月下旬よりアフガニスタンからの米軍撤退が開始して以降、アフガニスタン国内治安情勢は著しく悪化し、和平プロセスも膠着状態に陥っている。以下、アフガニスタンを巡る最新の情勢について、1.軍事情勢、及び、2.和平プロセスを中心に取り纏めた。

 

1.軍事情勢

 米軍撤退開始後、ターリバーンは農村部を中心にアフガニスタン国家治安部隊(ANSF)に対する軍事攻勢を激化させており、少なくとも27州114郡がターリバーン側に陥落した(7月6日時点での筆者集計に基づく。図1参照)。アフガニスタン全土に34州407郡あることから、全土の4分の1以上を約2カ月の間にターリバーンが掌握した計算となる(注:一部地域については、ANSFが奪還した)。ターリバーンは民家に入り込み、民間人を「人間の盾」に取りながらANSFに対するゲリラ戦を仕掛けている。ANSFは空爆や特殊部隊投入で応戦しているが、全体として劣勢に回っている。これによって、北東部バダフシャーン州、及び、タハール州は、州都を除くほぼすべての郡がターリバーン側に占拠された。

 

図1 米軍撤退開始後にターリバーン側に陥落した郡

(出所)2021年5月1日~7月6日までの期間を対象に、公開情報から筆者が集計し地図上にプロットしたもの。

 

 7月7日には北西部バードギース州がターリバーンからの大攻勢を受け、一時は州都カラエ・ナウが陥落寸前に陥った。同州のシャムス知事によれば、ターリバーンは州都を除くすべての郡を占拠し、更に州都にも侵入した上で州中央刑務所を襲撃し囚人数百名を解放した。一方で、ANSFが人員を増強して応戦したことから、現時点では、州都は政府のコントロール下にある模様である。

 ターリバーンの軍事攻勢が強まるなか、元軍閥や国民の武装蜂起も見られている。6月20日には、北部で大きな影響力を有するヌール元バルフ州知事(タジク人。イスラーム協会の重鎮)が「国民動員」を呼びかけ、その後、同州における軍事作戦の陣頭指揮を執る様子が報じられた。現在、武装蜂起の動きは各地に広まっている。ムハンマディ国防相代行もこうした動きを支持する姿勢を見せており、自警団がANSFに加勢する形でターリバーンに応戦する構図に移行している。

 

2.和平プロセス

 和平プロセスはしばらく膠着状態にあったが、ここにきて新たな動きが見られている。ターリバーン交渉団は、4月下旬~5月下旬ごろにかけてパキスタン国内にある指導者評議会と今後の対応について相談していた模様だが、既にカタルに戻り活発な活動を展開し始めた。

 6月8日、アフガニスタン政府・ターリバーン両交渉団はカタルで会談し、アジェンダ策定を含む和平交渉の進展に向けて協議した。6月20日には、ターリバーンのバラーダル副指導者兼カタル政治事務所代表が声明を発出し、ターリバーンはアフガニスタン諸勢力を包摂するイスラーム統治を実現する意向を示し、交渉の機会を逃すべきではないとの立場を公に示した。

 続いて、7月7日にはイランが仲介する形で、ターリバーンとアフガニスタン政府の代表団が参加する協議が行われた。同会合には、ターリバーン側からはスタネクザイ交渉団員(元カタル政治事務所代表。元ターリバーン「政権」保健副大臣)率いる一行が、アフガニスタン政府側からはカーヌーニー元副大統領(タジク人。イスラーム協会の重鎮)率いる一行が参加し、今後の和平交渉の進め方について協議した。また、7月6日には、カタルのカフターニー特使がカーブルを訪問し、アフガニスタン政府高官らと和平プロセスの促進について協議した。

評価

 例年、春季の雪解けに伴い武装勢力が活発化するとはいえ、今回のターリバーンによる大攻勢は過去20年のなかでも類例を見ない強度・規模と評価できる。現在、ターリバーンがこれ程までに激しい攻勢を仕掛けるのは、カタルで続く和平プロセスにおいて優位に立つ意図を有するためと考えられる。ターリバーン指導部は、軍事的圧力を強めながらも、対話の扉を閉ざしてはいないことが声明から確認できる。和平交渉においては、「パワーバランスに見合うだけ取り分になる」との考えに基づけば、軍事的成果は将来の権力に直結する。また、米軍撤退開始に合わせて軍事攻勢を仕掛けることで、ターリバーンは、国民及び国際社会に対して「アフガニスタン政府は崩壊間近だ」との強烈な印象を与えることに成功した。

 それでは、何故、ターリバーンはこれほどまで軍事的優位に立つことができるのであろうか。先ず、図1からは、ターリバーンは幹線道路沿いを狙って攻勢を仕掛けていることがわかる。ANSFは補給路を寸断され、物資や援軍を欠く状況に陥っており、ターリバーンの大攻勢を前にして投降せざるを得ない状況に立たされている。また、ターリバーンは民家を利用してゲリラ戦を続けているため、ANSFとしては民間人の巻き添え被害を考慮すれば、一旦は戦略的撤退を選ばざるを得ない。現在、ANSFは、防衛ラインを引き下げ、都市部と幹線道路を重点的に守る方向に舵を切っている。

 米軍撤退開始を受けてアフガニスタン情勢の先行きは不透明さを増しているが、今後、ターリバーンが一方的に実効支配領域を拡大するばかりではなく、政府側が奪還する場面も見られると考えられる。6月25日、バイデン大統領はガニー大統領らを招待し、撤退後もアフガニスタン政府への軍事・民生支援を続ける意思を伝達した。ANSFが厳しい状況に追い込まれていることは間違いないが、米国からの軍事援助が続く以上、即座に崩壊すると考えることは慎重にすべきだろう(詳しくは、「米軍撤退後のアフガニスタン和平の展望 ――1989年ソ連軍撤退から何を学べるか――」『中東分析レポート』R21-02【会員限定】参照)。また、反ターリバーンで一致する政府と自警団は、互いに連携しながら脅威に対抗する姿勢を示している。

 これらを踏まえると、ターリバーンが軍事的圧力をかけつつも、ANSF・自警団がこれに徹底抗戦する構図は今後もしばらくは続く可能性が高い。ただ、ターリバーンの進攻を前に、無血開城する事例も多い。当面、ANSFが都市部の実効支配を続ける一方で、ターリバーンが農村部、及び、地方都市の多くを実効支配する二分化が進むだろう。

(研究員 青木 健太)

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