中東かわら版

№139 サウジアラビア・トルコ:ジャマール・カショギ氏殺害に関する米国報告への反応

 2021年2月26日、米国の国家情報長官室(ODNI)は、2018年10月にイスタンブルで起きたサウジ人ジャーナリストのジャマール・カショギ氏殺害事件が、サウジのムハンマド皇太子による承認を経て実行されたと断定する報告書を公表した。一方で米国のバイデン大統領は、これに関連してムハンマド皇太子個人への制裁等は課さないとの見通しとともに、今後のサウジの対応(人権状況改善に向けた取り組み)を注視するとの方針を示した。

 カショギ氏殺害事件について、サウジ側は実行犯が政府関係者であることを認めつつ、ムハンマド皇太子の関与を一貫して否定してきた。2019年9月には同皇太子が米国のテレビ放送のインタビューで改めて自身の関与を否定し、同年12月には実行犯5名に死刑判決が下された(ただし、2020年9月に禁錮7〜20年への減刑が決定した)。このため、サウジ側にとって今般の米国の一連の発表は、米国が捜査も裁判も終了した過去の出来事を掘り起こし、あまつさえムハンマド皇太子を容疑者扱いした、ということになる。サウジ外務省は、米国治安機関の報告書について、①ムハンマド皇太子が関与したとする指摘は誤りである、②サウジの司法に対する干渉である、③カショギ氏の遺族はサウジ司法の判決に納得している、等を主な理由に批判した。また、カタルを除くGCC諸国の外務省が同様の理由からサウジ側の見解を支持する旨を表明した他、イスラーム協力機構(OIC)やムスリム世界連盟(MWL)も米国の行動に反対しているとサウジ側が報じた。カタル外務省は本件に関して公式な声明を控えているが、タミーム首長が28日にムハンマド皇太子と電話会談し、カタルがサウジの治安・安定・主権を支持する立場であることを伝えたことで、婉曲的ながらサウジ側の意を汲む立場を示したと言える。

 一方、カショギ氏殺害事件に関してムハンマド皇太子を首謀者と批判してきたトルコは現時点で公式な立場表明を控えている。しかし、イスタンブル在住のトルコ人で、カショギ氏の婚約者であったハティジェ・ジェンギズ氏がムハンマド皇太子を批判する旨をTwitterで表明し、これが国内外で報じられた。同氏の声明は、「罪のない無実の人物を標的に、残忍な殺害を命じたムハンマド皇太子は、遅滞なく処罰されなければならない」というものである。また、ムハンマド皇太子への制裁を課さないとの米国の方針に対して、国連調査機関は「極めて危険」との懸念を表明した。

 

評価

 カショギ氏殺害事件におけるムハンマド皇太子の関与について、ODNIが挙げた理由は、サウジ側情報機関を掌握していた同皇太子の承認なしに本事件は実行困難だというものである。この理論は筋が通っているものの、「承認」の証拠がない以上、ムハンマド皇太子の関与は立証できない。一方で、サウジ側が本事件の幕引きを急ぐ動きを見せてきたことも事実である。例えばムハンマド皇太子は本事件の「道義的責任」を認め、その一環として透明性・効率性をスローガンに司法改革を進める一方、カショギ事件の公判手続きや裁判記録は不明なままで、被告の氏名も伏せられている。また上記③の遺族について、国際社会がカショギ氏の婚約者であったジェンギズ氏を被害者遺族として取り上げる中、サウジ側は息子であるサラーフ・カショギ氏(サウジ在住)の存在をアピールし、同氏による「サウジの司法を信頼している」「公明正大な判断がなされた」といった発言(Twitter)を伝えてきた。真相は不明ながら、サウジ側がこうした外堀を埋めるかのような動きを見せてきたことは、米国側の疑念を払拭するには逆効果であったと考えられる。

 トルコに関しては、カショギ氏殺害事件の発生以降、一貫してサウジ政府の関与を主張してきた。そして、同事件に関連する映像や音声など、殺害の証拠となる情報を次々と公開することで国際世論を味方につけ、殺人事件ではないと主張していたサウジ側に殺害を認めさせるまでに追い込んだ。これを機にサウジ・トルコ関係(とりわけムハンマド皇太子とエルドアン大統領の関係)は冷え込んだが、昨年11月のG20前後から両国間には関係改善の兆しが見え始めた。このようなタイミングでバイデン政権がカショギ氏殺害事件を掘り起こすことは、再びサウジ・トルコ関係に亀裂を生じさせる恐れがある。トルコが米国の報告書に明確な公式な立場表明を示していないのは、こうした事態を避けようとしている可能性も考えられよう。だとすると、トルコと緊密な関係にあるカタルがサウジへの支持を婉曲的にしか伝えていないことも、トルコの立場を考慮したものだと判断できる。

 なお米国報道によれば、ムハンマド皇太子に制裁を課さないとの米国の方針はサウジとの関係維持を考慮したものである。にもかかわらず、同皇太子を名指しで批判するという、物議を醸すことが当然予想できた行動をとったのは、バイデン大統領がカショギ氏殺害事件の真相究明への取り組みを大統領選挙中に明言しており、中東政策における一定程度の「脱トランプ」方針を示したいとの思惑があるからであろう。このため、今般の米国による一連の発表は少なくとも同国新政権にとって公約実現という国内問題としての性格を持ちうる。一連の発表と前後してサウジ・米国は何度か電話会談を実施しており、サウジ側も米国の事情をある程度把握していると思われる点からも、今般の米国の対応がサウジ・米国関係を直ちに転換させると考えるのは早計であろう。

 

【参考情報】

*関連情報として、下記レポートもご参照ください。 

<中東かわら版>

・「サウジアラビア:ムハンマド皇太子のインタビューとカショギ氏遺族のコメント」No.108(2019年10月1日)

・「サウジアラビア:カショギ氏殺害事件の幕引きを図る」No.163(2019年12月27日)

(研究員 金子 真夕)
(研究員 高尾 賢一郎)

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