№133 レバノン:ルクマーン・サリーム氏の暗殺と長引く政治経済危機
2021年2月4日、ベイルート南部で政治活動家のルクマーン・サリーム氏が何者かの銃撃を受けて死亡した。捜査当局は、同氏は至近距離から頭部と胸部に合計6発の銃撃を受けて死亡し、ID、携帯電話、拳銃が無くなった状態だったと発表した。同氏はシーア派だが、ヒズブッラーやイラン、シリアに対する批判で知られていた。現時点で実行犯は不明である。
今次事件に対し、レバノン政界や欧米諸国から一斉に非難の声が上がった。ヒズブッラーはサリーム氏殺害の非難と治安・司法当局による事件の解明を求める声明を出し、アマル運動も暗殺を非難した。自由愛国運動も暗殺を非難し、今回の犯罪を対立に利用しないよう呼びかけ、異なる意見を持つことは不可侵の人権であると表明した。また、次期首相に任命されているサアド・ハリーリー元首相は、サリーム氏は自由と民主主義の道の途中で殉教したと哀悼の意を表し、今回の暗殺は以前に起きた暗殺と切り離して考えることはできないと述べた。レバノンに駐在するフランス大使、米国大使、EU大使もそれぞれ非難声明を出した。米国のブリンケン国務長官とフランスのルドリアン外相は、共同で出した非難声明において、レバノンが必要とする改革を実行するために効果的で信頼に足る政府を緊急で発足させる必要があると述べた。
評価
今回の暗殺事件は、2019年から続くレバノンの政治経済危機の中に位置づけられる。2019年の反政府抗議デモから始まり、2020年3月には対外債務返済の不履行(デフォルト)宣言、同8月にはベイルート港の倉庫に長年不適切に保管されてきた可燃物が爆発し、死者200人、負傷者6000人以上という大惨事が起きた。その間、レバノン・ポンドの実勢レートは急落し、国民の半分近くが貧困層に陥ったと言われる。経済危機の最中に発生したCOVID-19 の感染拡大が追い打ちをかけ、多くの人々が収入を得る機会を失い、ベイルートやトリポリでは経済的な不満による若者のデモや暴動が頻発している。
このように政治家に対する説明責任の要求が増大しているにもかかわらず、政界は一向に改革を実行できていない。ベイルート港爆発事故の責任を取り、ディヤーブ首相は辞任を表明したが、その後に組閣を命じられたアディーブ氏は各政治勢力との閣僚ポスト配分交渉の行き詰まりにより、9月に組閣を断念した。10月、サアド・ハリーリー元首相が次期首相候補に任命されたが、各勢力との組閣交渉は再び行き詰まり、現時点で新内閣は成立していない。諸政治勢力は互いに組閣の遅れの原因は相手側にあると非難し合っている。こうした危機において、レバノンの政治経済状況を批判してきたルクマーン氏が暗殺されたという事実は、政治対立が暴力的手段の使用にまで発展したことを示している。
政治的暴力の拡大を抑えるためには、一刻も早く諸勢力が新内閣の閣僚リストで合意する必要がある。しかし、デフォルトやベイルート港爆発事故という未曽有の危機を経験してもなお、既存の政治経済構造から脱却できない現状を見る限り、当面は危機の解決に向けた動きは期待できないと思われる。
【参考情報】
・末近浩太「内戦後最大の政治経済危機に直面するレバノン」『中東研究』第540号(2020年度、Vol.Ⅲ)、7~26頁。
(上席研究員 金谷 美紗)
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