中東かわら版

№69 イラン:バイデン米前副大統領の対イラン政策

 2020年8月18日に民主党の大統領候補に指名されたバイデン米前副大統領は、本年11月3日の選挙に向けて、現職のトランプ大統領と激しい選挙戦を繰り広げている。選挙運動の過程で、バイデン前副大統領は、当選した際にはイランとの関係改善に取り組むと公言してきた。米国大統領選挙の趨勢は決して予断出来ないが、バイデン前副大統領が掲げる対イラン政策の変更計画は、トランプ政権からの厳しい経済制裁によって疲弊するイラン側の行動に対して、既に影響を及ぼし始めている。

 バイデン前副大統領の外交政策に関し、包括的に、且つ、順序立てて説明されたものとして、2020年1月に『フォーリン・アフェアーズ』に発表された論文「何故アメリカは再び(世界を)牽引しなければならないのか」がある。

 この中で、バイデン前副大統領は、2017年1月に成立したトランプ政権下で米国の影響力と信用が著しく失墜したことを踏まえて、自身が当選したら、米国の民主主義と同盟関係を建て直し、米国が世界を牽引できるよう直ちに行動を起こす、との基本的な立場と全体的な方針を表明している。

 具体的には、出自や人種等の属性に左右されない自由な社会の再建、出入国管理政策の改正、表現の自由の徹底等の国内諸問題にはじまり、海外での対応についても詳細に方針が示されている。例えば、中南米諸国からの不法移民への穏健的な対処、「民主主義サミット」の開催を通じた国際秩序への貢献、対中国・ロシア・北朝鮮・NATO関係、中東におけるテロ対策、対話を基軸とした外交姿勢等が挙げられている。2009年~2017年の8年間、オバマ政権で副大統領を務めた経緯を踏まえても、総じて、バイデン前副大統領はオバマ外交を踏襲し、国際協調に向かう外交方針を滲ませている。

 同論文において、バイデン前副大統領は対イラン政策に関し、以下のように述べている。

 

  • オバマ・バイデン時代に成立した歴史的なイラン核合意(JCPOA)は、イランが核兵器を手中に収めることを阻止した。しかし、トランプはJCPOAを投げ出し、イランが核開発計画を再始動させることを許し、結果として地域におけるリスクを上げてしまった。
  • 私とて、中東を不安定化させ、自国の抗議デモに対して暴力を用いて鎮圧し、米国民を不当に拘束するイラン体制に対し、何か幻想を抱いているわけではない。しかし重要なことは、イランが米権益に対して投げかける脅威に対して、より賢明に対応する方策があるということだ。
  • 確かに、ソレイマーニー革命防衛隊ゴドス部隊司令官の殺害によって、危険人物を排除したことになるかもしれない。しかし、同時に、域内における暴力の連鎖を生み出してしまった。これは、イランによる核兵器保有を阻止することを、結果的に遠ざけている。
  • イランは、再びJCPOAを遵守しなければならない。もしイランがそうするならば、私はJCPOAに復帰する。そして、私は同盟国とともに対話を用い、(核開発以外の)イランの域内を不安定化させる諸活動についてもより効果的に対抗する。

 

 このように、2018年5月8日にJCPOAから単独離脱し「最大限の圧力」政策の名の下で強力な経済制裁を科すトランプ政権とは異なり、バイデン前副大統領は条件付きでJCPOAに復帰し、イランとの関係改善を模索する方針を掲げている。もっとも、大統領選挙をともに戦うハリス副大統領候補をはじめとする側近からの影響力も大きいことが見込まれ、この通りに物事が運ぶとは限らない。

評価

 バイデン前副大統領の発言を見る限り、本年11月の米国大統領選挙の結果次第で、イラン・米国関係は大きく変わる可能性があるだろう。

 トランプ政権はシリアやアフガニスタンから米軍を撤退させる方針を示す一方で、イランに対してはJCPOA単独離脱やそれに次ぐ「最大限の圧力」政策等の強硬策を打ち出してきた。こうした厳しい経済制裁に追い打ちをかけるように、本年2月以降はイラン国内で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が猛威を振るい(詳しくは「イランにおける新型コロナウイルス感染拡大の諸要因」『中東分析レポート』【会員限定】R20-01参照)、非石油製品部門の取引、及び、観光部門等、原油輸出による歳入の損失を補填し得る各分野の拡大も見込めない状況に陥った。現在、制裁とCOVID-19の二重苦により、イランは八方塞がりとさえ呼べる状況にある。このため、イランにとっては次期米国大統領選挙は、自国の命運を左右する一大事だといえる。

 こうした流動的な情勢を踏まえれば、イランとしては積極的に動きづらい状況にあるといえ、現在は「戦略的忍耐」の下で耐え凌ぐ時だと認識されていると見られる。実際、本年7月2日には、中部ナタンズにある核関連施設で大規模な事故が発生したが(詳しくは「イラン:ナタンズ核関連施設での「事故」の発生とその余波」『中東かわら版』2020年度No.41参照)、イラン原子力庁報道官は8月23日に何者かによる妨害工作だと認めた一方で、本日現在までイランによって何ら具体的な報復措置は講じられていない。仕掛けられた妨害に対しては同等の報復を講じてきたイランの行動原則に鑑みれば、今次のイラン側の姿勢は消極的にも映る。また、米国による武器禁輸措置の延長を要請する国連安保理決議の提出や、IAEAによる非難決議を受けてもなお、イランはJCPOAを当面維持する姿勢を崩していない。

 その一方で、中国と25年間に及ぶ包括的諸協力計画案の準備を進めている他、チャーバハール港やジャースク港等のホルムズ海峡以東に位置する港湾の開発を進めている事情(詳しくは「イラン:ジャースク港への石油パイプライン敷設事業の開始」『中東かわら版』2019年度No.110参照)等を総合すると、イランはこの微妙な時期を米国やイスラエルとの直接的な衝突に使って消耗するのではなく、とることができる選択肢を戦略的に拡充する期間に充てているともいえる。11月に対米関係が改善する可能性が存在する中で、今リスクの高い行動に出る必要はない。イラン側にこのような理性的な判断が働いたとしても不思議ではない。この意味で、次期米国大統領選挙は、既にイラン側の行動に影響を与えている。

 では、仮にバイデン大統領が誕生した場合、イランと米国は関係改善に向かうのであろうか。本年6月24日、ロウハーニー大統領は閣議で、米国が謝罪し、JCPOAの枠組みに戻り、これまでに引き起こした損害を賠償すれば、イランは米国と対話しても構わないと発言している。先述の通り、バイデン前副大統領もJCPOAに条件付きで復帰する姿勢を見せている。米国の厳しい経済制裁によってイラン側に生じた経済的損失は莫大であることから、米国から制裁解除のような、イラン側に目に見える明るい材料が提示されれば、事態が改善に向かう可能性があるだろう。なお、トランプ大統領が再選した場合、イランが更に厳しい立場に置かれることは間違いないだろう。

 他方、イラン国内では2021年6月に次期大統領選挙が予定されており、国際協調路線をとるロウハーニー大統領の任期も終わりを迎える。本年2月の議会選挙で保守強硬派が圧倒的多数の議席を占めたように(詳しくは「イラン第11期国会議員選挙の結果とその影響 ――有権者の投票行動に着目して――」『中東分析レポート』【会員限定】R19-12参照)、立法府・司法府をはじめイラン国内で保守強硬派が台頭する現在、イランの次期大統領として国際協調路線をとる人物が選出される保証はどこにもない。

 したがって、次期米国大統領が誰になるのか、また、仮にバイデン前副大統領が選ばれたとしても、両国で近く予定される大統領選挙の合間にある「限られた機会の窓」をどのように活かすのかが、今後のイラン・米国関係を読み解くカギとなるだろう。 

 

【参考情報】

*関連情報として、下記レポートもご参照ください。

 <中東かわら版>

・「イラン:ジャースク港への石油パイプライン敷設事業の開始」2019年度No.110

・「イラン:ナタンズ核関連施設での「事故」の発生とその余波」2020年度No.41

 

 <中東分析レポート>【会員限定】

・「イラン第11期国会議員選挙の結果とその影響 ――有権者の投票行動に着目して――」R19-12

・「イランにおける新型コロナウイルス感染拡大の諸要因」R20-01

 

 <雑誌(電子版)『別冊・中東研究(2019)』>(定価:本体2,000円+税 ※送料別)

・青木健太「「自由で開かれたインド太平洋」におけるインフラ開発と秩序形成――チャーバハール港とグワーダル港を中心に」『別冊・中東研究(2019)』、2020年2月、964-985頁.

(研究員 青木 健太)

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