中東かわら版

№56 レバノン:ベイルート港での爆発事件と政治の麻痺

 2020年8月4日午後6時頃(現地時間)、ベイルートの港で倉庫が爆発した。爆発はキノコ雲と数キロ先まで到達するほどの爆風を伴う大規模なもので、5日朝の保健省発表によると78人が死亡、4000人以上が負傷した。爆発場所の周囲では広範囲にわたって建物が破壊された。レバノン治安当局は、爆発現場にあった倉庫に2014年から硝酸アンモニウム2750トンが保管されており、これが爆発した可能性が高いとの見方を示した。ディヤーブ首相は爆発原因を調査する委員会の設置と48時間以内の原因報告を命じ、爆発の原因を作った人物の責任を追及すると述べた。

 ベイルート港での爆発事件(2020年8月4日)は、甚大な損害をもたらすとともに、爆発の原因となった物資の管理に象徴されるようにレバノンの政治・経済・社会の停滞を全世界に知らしめた。今後、国際的な支援を受け入れたり、復旧・復興を迅速に進めたり、ベイルート市内で激化する抗議行動を鎮静化したりするためには新政府の編成や国会議員選挙の早期実施などが課題となる。しかし、レバノンの政治の機能不全は近年生じたものではなく、同国の政治体制に起因する根深いものである。2005年はシリア軍の撤退が実現し、現在のレバノンの政治にとって一大画期をなした年だが、それ以降のレバノンの政治の停滞は下の表のとおりに要約できる。

 

出典:『中東研究』491、495、499、503、507、『別冊中東研究』(2010、2011、2012、2013、2014、2015、2016、2017、2018、2019)など

 

評価

 レバノンでは、18の宗派を「公認」し、その宗派共同体を政治的権益分配の単位とする政治体制がとられている。その結果、多様な共同体の共存が達成される一方、「挙国一致」が追求されるあまり、重要な政治的決定が極めて困難となった。この傾向は、1990年代~2005年にかけてレバノンの政界の事実上の支配者として最終的な裁定を行ってきたシリアが去って以降一層明白となった。すなわち、レバノンはシリア軍の駐留とシリアによる干渉を排除した一方、国内での政治勢力間の対立を調整する能力を喪失し、何事も決められなくなったのである。

 その結果、2009年に選出された国会は本来任期が満了する2013年に選挙を実施することができず、2018年まで任期延長を繰り返して選挙を先送りし続けた。また、2014年に任期が満了したスライマーン大統領の後任を選出できず、2016年に現在のアウン大統領が選出されるまで2年以上にわたり大統領の空位が続いた。今般のベイルート港での爆発事件の原因となった硝酸アンモニウムの荷揚げや杜撰な管理の期間が、国会や大統領の任期満了に伴う政治空白の期間と重なっていることは偶然ではない。また、2019年秋以降のレバノン・ポンドの暴落と抗議行動の激化、2020年3月の債務不履行宣言のような経済・社会の危機も、それに先立つ長期間の政治空白により、これらの問題を回避するような措置が取られなかったことによって発生したものと言える。レバノンの政治体制の抜本的な変革は極めて困難であり、ディヤーブ内閣後の新政府の編成や、国会議員選挙の早期実施のような政界の刷新が速やかに実現する保証はない。ベイルート港での爆発事件の緊急援助、復旧・復興に向けた体制構築や効率的な援助の実施は困難だろう。

(中東調査会)

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