№195 中東:新型コロナウイルスと中東
中国で発生した新型コロナウイルスは、中東諸国にも感染が拡大し、各国の対策や住民の反応も緊張感を増している。この問題について、2020年3月9日付『ナハール』(キリスト教徒資本のレバノン紙)紙は、「コロナの旅は“不信仰者どもの土地”から“サラフィー主義者の世界へ”」と題するカイロ発の記事で要旨以下の通り報じている。なお、サラフィー主義とはイスラーム初期の父祖(=サラフ)の時代の原則や精神に回帰することによってイスラーム共同体の復興を目指す思想・政治潮流で、現在はイスラームの原点への回帰や厳格な解釈・実践への志向を形容して用いられることが多い。
- コロナウイルス対策でWHOや複数の国の公的機関が現実の世界で活動している際、コロナウイルスは現実と並行してサラフィー主義の諸潮流やその支持者の空想の世界を旅していた。この旅は、「不信仰者の土地」である中国にウイルスが現れてから、ムスリムが多数を占める諸国に達するまで、その拡散の隠された原因を考察した。そして、西洋の科学者たちの知的無能を明らかにするまで終わらなかった。
- 数カ月前にコロナウイルスが中国に現れた際、サラフィー主義者達の広報媒体は、何の気兼ねもなく(ウイルスの出現は)中国に対する「アッラーの報復」であると論じた。それによると、中国はウイグルにて百万人近いムスリムを幽閉したが、その報いとして今般中国当局は中国人1800万人を隔離することを余儀なくされた。
- コロナウイルスについてのこのようなイメージは、サラフィー主義の情宣業界に広まり、増幅した。アブー・カターダ・フィリスティーニー(注:アル=カーイダとも親しいイスラーム過激派の活動家で、現在はヨルダンに在住している。)は本件について、「コロナの病を神罰と考えない者は、天命についての法学やそれとイスラーム法とのつながりについて学ばなくてはならない」と述べた。
- まもなくコロナウイルスはムスリムが多数を占める諸国にも拡大し、各国政府は拡大防止のために様々な措置を講じた。諸措置の中で重要なものに、サウジ当局がウムラ(注:定められた期間に行われるマッカ巡礼(=ハッジ)とは異なる期間に行うマッカ巡礼)のための査証発行を停止したことがある。こうした状況下で、サラフィー主義の唱道者たちや支持者たちの論調は、「コロナウイルスはアッラーが不信仰者である中国人に報復するために遣わした兵士である」とのものから、突如「信徒たちの信心を試す試練」へと転換した。
- サラフィー主義のシャイフたちは、コロナウイルスという試練が除かれるよう祈願する礼拝を呼びかけたが、多数の礼拝者が集まることで感染が拡大すると考える者たちとの論争を呼んだ。エジプトでは、ワクフ省がモスクの導師達に礼拝実施呼びかけに応じてモスクを開けないよう警告し、論争に決着をつけた。
- サラフィー主義者の空想の中でのコロナウイルスの旅路は、それが人々に西洋の科学者たちの知的無能を示すまで終わらなかった。サラフィー主義者達の文書の一部は、「1日5回の礼拝前の清め(=ウドゥー)がコロナウイルスの感染予防にある」との「新たな知的発見」を論じるようになった。ある医師は、サラフィー主義者のサイトで「WHOは口や鼻を湿らせることがコロナウイルスから身を守ることに役立つと述べているが、これこそが毎日5回のウドゥーでなされていることだ。また、(ニカーブは医療用マスクと似ているので)異論が出ないのならば、WHOは男性にも女性にもニカーブを着用するよう勧告しただろう」と主張した。
評価
新型コロナウイルスが発生した当初、この問題は中東諸国の人々にとって他所の問題であり、自国に感染者を入国させないこと、感染があった地域との往来を制限することが主な対策となった。感染がイランに拡大すると、各国は感染が発生した諸国との往来制限を強化した。その中で、日本も感染地とみなされ、日本人の入国や日本との往来に対する規制も増加した。これに関連して、アラブ諸国の一部では日本人に対する暴行事件や嫌がらせが発生し、それが報道やSNSでの拡散により日本社会でも反響を呼んだ。
新型コロナウイルスの発生と流行を「不信仰者に対する神罰」であると語る論調は、中東・アラブ諸国・ムスリムの中でも特殊なものであると思われる。「イスラーム国」も、週刊の機関誌に類似の趣旨の論考を掲載している。とはいえ、自らに都合のいい論評に終始するサラフィー主義者達のありようは、コロナウイルスの問題を他国の問題とみなし、感染拡大防止や予防を他人事とした問題や、差別や偏見を助長した問題として、本邦においても教訓とすべきであろう。新型コロナウイルスの発生・蔓延の時期についての情報に不信感がもたれている中、中東諸国においても「水際対策」は軒並み破綻している。中東諸国は、予防・検査・治療の対策が及びにくい紛争地での蔓延と被害の拡大を懸念すべき局面にある。
(主席研究員 髙岡 豊)
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