中東かわら版

№117 シリア:政府軍が北部に展開

2019年10月13日、シリア政府と「シリア民主軍」は、ロシアの後援の下シリア政府軍が「シリア民主軍」が占拠していたシリア北東部の諸拠点に展開することで合意した。これを受け、政府軍は14日にアレッポ県マンビジュに進出、15日までにはラッカ県、ハサカ県で展開地域を拡大した。双方の合意は、9日にシリア領に侵攻したトルコ軍の侵略と占領の拡大を阻止し、アレッポ県アフリーンを含むすでに占領された地域の解放を目的とするものとされている。合意を受けた軍事情勢と、合意の概要は以下の通り。

図:2019年10月15日時点のシリアの軍事情勢(筆者作成)

 

凡例

オレンジ:クルド民族主義勢力

 青:「反体制派」(実質的には「シャーム解放機構」と改称した「ヌスラ戦線」や、「宗教擁護者機構」などのイスラーム過激派)

 黒:「イスラーム国」

 緑:シリア政府

緑矢印:シリア政府軍の進路

 赤:トルコ軍

赤矢印:トルコ軍侵入路

 赤点線内:アメリカ軍

 

 シリア政府軍は、アレッポ県マンビジュとその周辺を制圧した後、ユーフラテス川を渡りアイン・アル=アラブに向かった。同地には依然としてアメリカ軍がおり、政府の展開を妨害しているとの情報もある。また、シリア軍はユーフラテス川を渡河したのち東進し、ラッカ県アイン・イーサーに入った。ラッカ県では、ユーフラテス川西岸の「シリア民主軍」の占拠地だったラッカ県タブカ(サウラ)市と近郊の軍事空港に政府軍が入り、政府軍はそこからアイン・イーサー方面に北上した。ハサカ県では、トルコ軍が侵入したラアス・アル=アインの南方にあるタッル・タムルに政府軍が展開した。なお、「シリア民主軍」は検問所を解放して政府軍を通過させたが、引き続き検問所や拠点にとどまっている模様である。ちなみに、クルド民族主義勢力の占拠地域で活動していたアメリカの外交官や兵員の一部は、ハサカ県東端のマーリキーヤの空港を経由してイラクに退去した。

 政府軍の北部への展開に先立ち、シリアにおけるロシア軍の拠点フマイミーム基地で、シリア軍と「シリア民主軍」が協議し、合意が成立した。協議と合意の要点は以下の通り。

  • 「シリア民主軍」は、(同派が占拠している)全ての国境通過地点をシリア国家の主権の下に置くこと、「シリア民主軍」の兵力をシリア軍に統合すること、の用意があると表明した。また、同派は上記の実行をロシアが保証するとの条件で、憲法、自治、シリア紛争の政治解決などの諸課題を今後協議する方針を示した。
  • シリア政府側の立場は、「自治も分離主義も(政府軍とは別個の)軍事組織も拒否する」との者であり、この立場は従来と変わらないものだった。
  • ロシアは、「自治については将来協議しうる。ロシアが交渉を後援できる。」、「クルド民族主義勢力がユーフラテス川東岸のアラブを代表して交渉に臨むことは認めない」との方針を表明した。
  • 双方は、シリア政府軍がトルコ軍が到達する前に国境地帯やその他の地域に展開すること、全ての公的機関にシリア国旗を掲揚することで合意した。
  • 「シリア民主軍」とその治安機関(アサーイシュ)は、その身分を示す全ての徽章を取はずした上でシリア軍に合流することを約束した。
  • 自治機構の構成要素の一部は、現状を維持する。その処遇については後日協議する。
  • 憲法、シリアの将来、クルド人の権利については、ロシアの保証のもとで将来協議する。
  • なお、依然としてアメリカ軍が駐留しているラッカ県の一部、ダイル・ザウル県のユーフラテス川東岸地域は、今般の政府軍展開合意の対象ではない。
  • 「シリア民主軍」が占拠した地域の行政を運営する「北東シリア自治当局」は、13日に声明を発表した。声明には、「シリア北東における自治という政治事業は、これまで一日たりとも分離を呼びかけたことはない」との内容が含まれる。
  • 『ワタン』(シリアの民間日刊紙。親政府)は、ハサカ県カーミシリー市、ハサカ市で(これまでクルド民族主義勢力の制圧下にあった)公立学校が再開したと報じた。

 

評価

 「シリア民主軍」は、トルコ軍のシリア侵攻からわずか4日余りでシリア政府軍が同派の占拠地域に展開することに同意した。しかも、「分離主義運動ではない」旨公式に宣言させられた上、軍事・治安機関をシリア軍に合流することを約束させられた。さらに、自治やクルド人の権利については今後の協議に先送りされ、クルド民族主義勢力がシリア政府から得たものは最小限の認知に過ぎない。こうした合意が今後確実に実行される保証はないが、アメリカの政治的・軍事的庇護を喪失したクルド民族主義勢力が、従来に比べて非常に弱い立場でシリア政府・ロシアと交渉・合意しなくてはならなかったことは明らかである。

 一方、シリア軍は今般の合意により、トルコ軍の侵攻地域ではないタブカ市と同地の空港に進出し、重要な拠点を回復することに成功した。政府軍の展開は迅速に進んでいるものの、政府軍はシリア紛争勃発以来の損害や離反が原因で人員不足に苦しんでおり、政府軍が展開したところで戦闘によりトルコ軍を撃退・排除できる可能性は乏しい。トルコ軍にとっては、今後もシリア北東部への侵攻での戦力的優位は揺るがないと思われるが、今般のシリア軍の展開はロシアの後援によって決まったものであるし、シリアへの侵攻を理由にアメリカから経済制裁を科されているため、シリア軍との大規模な交戦を含め、あくまで侵攻を継続する上での外交・経済的な負担はかなり大きいだろう。

 今般の政府軍の展開がトルコによるシリア侵攻や「イスラーム国」の動向にどのように作用するかは、現時点では判断しにくい。しかし、トルコ軍の侵攻が停止・小康状態となれば、侵攻に呼応・便乗するかのようにクルド民族主義勢力への攻撃を強めてきた「イスラーム国」がそうした活動を続けることは困難となろう。アメリカも含め、トルコ軍のシリア侵攻の諸当事者のいずれも、自らの行動が「イスラーム国」のための援護射撃のような結果につながることは望ましくないだろう。

(主席研究員 髙岡 豊)

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