中東かわら版

№113 シリア:トルコ軍のシリア侵攻

 2019年10月9日夜(日本時間)、トルコ軍は「平和の泉」作戦と称してシリア領に侵攻した。トルコ軍は既にアレッポ県アフリーン、バーブ、ジャラーブルスを「反体制派」武装勢力を傀儡として占領しているが、今般の作戦は、長年トルコがシリア領内に設置すると主張していた「安全地帯」構築のため、対象地域を占拠する「シリア民主軍」を一掃するものである。なお、「シリア民主軍」とは、アメリカが「イスラーム国」と戦う地元の地上戦力として養成したもので、クルド民族主義勢力の「人民防衛隊(YPG)」を主力とし、若干のアラブ民兵を含む団体である。

 なお、今般のトルコの侵攻作戦の対象地域にはアメリカ軍が駐留していたが、この地域のアメリカ軍は侵攻に先立ち撤退した(『中東かわら版 2019年No.112』)。

図:2019年10月10日時点のシリア北部の軍事情勢(筆者作成)

 

凡例

オレンジ:クルド民族主義勢力

青:「反体制派」(実質的には「シャーム解放機構」と改称した「ヌスラ戦線」や、「宗教擁護者機構」などのイスラーム過激派)

緑:シリア政府

赤:トルコ軍

赤点線:トルコが設置を目指す「安全地帯」

黒矢印:トルコ軍侵攻路

 

評価

 トルコは2016年8月にアレッポ県ジャラーブルス、バーブに侵攻・占領し、2018年1月に同県のアフリーンを占領した。これらは当然ながらシリアの同意に基づくものではないが、政府軍とこれを支援するロシア、イランもイスラーム過激派との戦闘に忙殺されており、トルコ軍との大規模な衝突は避けた。一方、トルコ軍が侵攻した地域はYPGが占拠して「自治」を営んでいる地域である。YPGはアメリカ軍の支援を受けているものの、アメリカ軍・政府がトルコのシリア領侵攻を阻止することができなかった以上、YPGがトルコ軍と交戦する際、アメリカが同派を支援し続けるとは考えにくい。また、YPGはトルコ軍がアフリーンを占領した際、本来はシリアにおけるクルド人の伝統的な中心拠点だった同地を3カ月足らずで放棄した。こうした事情に鑑みれば、YPGがトルコ軍に対し強い抵抗や長期のゲリラ戦を挑む可能性は低い。

 トルコは、今般の軍事作戦を端緒に新たに国境沿いにシリア領を東西約600kmに渡り占領し、そこに幅30~40kmの「安全地帯」を設置する構想である。「安全地帯」は、10の拠点都市、140の集落を建設し、医療施設・スポーツ施設・学校を整備し、300万人以上のトルコ在住のシリア難民のうち100万~200万人を「帰還」させる事業である。同地帯では、トルコがすでに占領しているアレッポ県北部の諸地域と同様、トルコの支配下で社会・経済の再建と運営が行われるとみられる。トルコ政府は、今般の軍事作戦で自国の安全を守り、シリアの統一性や主権を尊重して難民の「帰還」を促すと主張している。

 しかし、過去の事例も含め、トルコがシリア領の広域を占領し、そこに自国の通貨や教育制度を導入するようであれば、これがシリアの主権と統一の維持に著しく反することは明らかである。また、アメリカ議会で今般の軍事作戦を受けて対トルコ経済制裁が議論されるなど、この作戦がトルコの外交・経済環境に悪影響を与える可能性もある。さらに、トルコ在住シリア難民のうち、「安全地帯」設置予定地の出身者は多数を占めているわけではないため、多数の難民を「帰還」させ、そのための住居や施設を整備するとなると、これまで「安全地帯」の対象地域に居住していた者に対する大規模な追放と土地の収用が行われることも予想される。「安全地帯」設置予定地域の一部では、1960年代~1970年代にかけて「アラブベルト」と称する住民追放・土地収用・新住民の入植が行われた。「安全地帯」の設置は、ここにさらに住民追放・土地収用・新住民の入植の層を積み重ねる行為である。このような環境の下で「安全地帯」を設置・維持管理することは、軍事的な抵抗を受けなかったとしてもトルコにとって多大な負担を要する事業である。

 さらに、YPGがトルコ軍の侵攻が原因で「イスラーム国」囚人(外国人2000人を含む約1万人を収監しているとされる)の管理を放棄し、多数の脱走や「イスラーム国」の攻撃激化が懸念されている。「安全地帯」の設置予定地に含まれるマーリキーヤ(俗称:ディーリーク)の施設が直接の懸念材料だが、トルコ軍の攻撃が拡大し、ハサカ市東方のフール・キャンプにまで及ぶようならば懸念はさらに高まる。ただし、YPGの「イスラーム国」囚人管理も、出身国への送還も適切な捜査・訴追も行わないまま囚人たちを孤立させ、彼らの間で「イスラーム国」への執着を強める結果に終わっていると指摘されるなど、極めて問題が多いものである。収監施設をトルコ軍が制圧すれば、トルコ軍が彼らを管理することになろうが、トルコは「イスラーム国」への合流希望者がイラク・シリアに密航することを適切に取り締まらなかった実績があり、今般の侵攻による「イスラーム国」対策における悪影響は、囚人の管理にとどまらない広範かつ根深い問題である。

(主席研究員 髙岡 豊)

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