中東かわら版

№83 シリア:イドリブ県南部でトルコ軍の拠点が孤立

 2019年8月19日~20日にかけ、シリア政府軍がイドリブ県南部・ハマ県北部で前進し、イドリブ県ハーン・シャイフーン市を制圧した。政府軍はさらに前進し、ムーリクなどのハマ県北部の「反体制派」(注:実態は「シャーム解放機構」、「宗教擁護者機構」などのアル=カーイダ諸派)を包囲した。「反体制派」は、ハーン・シャイフーン市の制圧に先立ち政府軍が幹線道路M5を封鎖したため、「再展開」と称しハマ県北部からイドリブ県へと撤退・敗走した模様。なお、これに伴いトルコ軍がムーリク付近に設置していた監視拠点がシリア政府軍に包囲され、孤立している。

 

図:2019年8月22日時点のイドリブ県南部の軍事情勢(筆者作成)

 

凡例

緑:政府軍制圧地、水色:「反体制派」占拠地

赤矢印:シリア政府軍進路、緑矢印:「反体制派再展開」、オレンジ:幹線道路(M5)

 

評価

 本稿執筆時点で、この地域での戦闘の状況に関するシリア政府の公式発表はない。シリア・アラブ通信(SANA)は、「政府軍がハーン・シャイフーン、タマーナア方面で制圧地を拡大」と報じ、政府軍がハーン・シャイフーン市を制圧したか否かを明示していない。これは、今般戦闘が行われた地域が2018年9月のロシアとトルコとの間の合意で「緊張緩和地域」に定められた地域であること、ムーリク付近に孤立したトルコ軍の監視拠点の処遇のような機微な問題があることを反映した結果であろう。シリア軍とトルコ軍とは、8月19日にトルコ軍が「シャーム解放機構」を援護するために派遣した車列をシリア軍が爆撃し、3人が死亡する事件が発生し、緊張が高まっている。

 ただし、今般の情勢の展開を受け、トルコ軍が大規模な作戦行動をとるなどの強硬な態度に出るには様々な困難がある。第一に、2018年9月の合意では、「反体制派」の占拠地域での合意の履行はトルコが請け負うものと考えられたが、現時点まで合意は一切履行されていない。第二に、イドリブ県などを占拠している「反体制派」は、シリアにおけるアル=カーイダである「シャーム解放機構」、「宗教擁護者機構」、国際的なイスラーム過激派である「トルキスタン・イスラーム党」が主力だが、イスラーム過激派諸派は上記合意を拒絶し、「緊張緩和地域」の設置のための重火器の撤去などに全く応じていない。トルコ軍の監視拠点は、本来「緊張緩和地域」の設置と維持のために設けられたものだが、実際にはイスラーム過激派諸派による領域の占拠を維持する以外の機能を果たしていない。第三に、「シャーム解放機構」は、同派が「ヌスラ戦線」を名乗っていた時点から国連安保理などで「テロ組織」に指定されており、トルコ自身も2018年に同派を「テロ組織」に指定している。すなわち、トルコが「シャーム解放機構」を支援・擁護することは、自ら「テロ組織」とみなした団体を援助するという深刻な矛盾に直面する。第四に、ロシアがシリア軍による今般の軍事行動を全面的に支援しており、ロシアとトルコとの関係に鑑みれば、ここでトルコが軍事的に対応することは難しい。第五に、イドリブ県などをめぐる国際的な関心は低く、同地での戦闘回避のための欧米諸国の動きも鈍い。アメリカ政府は化学兵器が使用された場合は介入する旨表明したが、これは「化学兵器が使用されさえしなければ特に構わない」と解釈されかねない態度でもある。

 国連などによると、イドリブ県を中心とする地域には民間人が300万人ほど居住しており、戦闘の激化による難民・避難民と、民間人の死傷者の増加が懸念されている。しかし、上記の通り今般の情勢に対する各国・機関の動きは鈍く、停戦も「緊張緩和地域」の設置・維持も期待できない。事態を打開し、シリア紛争の政治的解決の努力を軌道に乗せるためには、「反体制派」に与する諸国がこれらを制御することが不可欠であるが、そのためには現在の「反体制派」は国連などで「テロ組織」とみなされているものも含むイスラーム過激派諸派に過ぎないことを認め、イスラーム過激派と絶縁することが第一歩となるべきである。これはシリア紛争勃発以来の課題だったが、2015年~2017年にかけてはアメリカが、そして今般はトルコが対処に失敗した課題でもある。

(主席研究員 髙岡 豊)

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