№63 レバノン:アメリカがヒズブッラー出身の国会議員らを制裁対象に指定
2019年7月9日、アメリカの財務省はヒズブッラー幹部としてムハンマド・ラアド、アミーン・シーリー、ワフィーク・サファーを制裁対象に追加した。ラアド、シーリーの両名はレバノンの国会の現職議員でもある。また、サファーはナスルッラー書記長に直属の治安・諜報部門幹部で、各国やレバノンの情報機関との連絡・調整を担当しているとされる。
アメリカの財務省は、ヒズブッラーの政治部門と軍事部門には差異がないとの立場で、各国に同党をテロ組織に指定するよう求めている。なお、『シャルク・アウサト』(サウジ資本の汎アラブ紙)紙は、今般の措置により、ラアド、シーリー両議員への給与をレバノンの銀行口座に振り込むことが問題となると指摘した。
評価
今般の措置の注目点は、ヒズブッラー出身の国会議員や他の政治勢力との連絡を担当する幹部という、レバノンの政界で「合法的に」活動する者が制裁対象に指定されたことである。ヒズブッラーにとっては、ナスルッラー書記長、カーシム副書記長らの幹部を含む50もの個人・法人が制裁対象に指定されていることから、制裁を科されること自体は珍しいことではないし、ヒズブッラーが自らの政治的活動と抵抗運動(=軍事行動など)を不可分と考えているのはアメリカなどの見方と同様である。しかし、報道で挙げられているように、今般の措置によりレバノンの国会議員としての給与の振り込みに支障をきたすことも考えられるため、アメリカによる制裁対象拡大は、レバノンの経済・社会活動からヒズブッラーを排斥することを意図したものともとれる。
ヒズブッラーは、「イスラエル(=シオニスト)とその背後にいる傲慢勢力(アメリカ、イギリス、フランスなど)への抵抗運動である」と謳い、その活動は軍事・諜報・経済・社会・文化活動、そしてレバノンでの合法的政党としての活動など多岐にわたる(『中東かわら版』2018年度 No.107)。同党が世界各地で営む様々な活動の一部は、非合法活動として摘発されることもある。また、2013年以降はシリア紛争に政府側に立って介入するなど、「レバノンにおける抵抗運動」としての性質を超える活動も目立つ。
しかし、レバノンにとって、ヒズブッラーは長期的には武装解除すべき存在として政治的対立の火種であるものの、イスラエルによるレバノンの領域や権益の侵害に対し、軍、国連、国際社会が何の抑止力も発揮できない中、同党の「対イスラエル抵抗」に一定の意義を見出さざるを得ない。さらに、現在のレバノンは、国内の多数の宗教・宗派共同体を政治的権益の配分単位と化し、宗派ごとに各種の役職などを配分する制度を導入している。このため、ヒズブッラーへの安直な圧迫は、同党の母体であるシーア派への権益の配分やシーア派からの政治的代表の輩出を損ない、ひいてはレバノンの政治体制そのものを動揺させることにもなりかねない。アメリカをはじめとする、ヒズブッラーをテロリストとみなして制裁を科す諸国は、レバノンの政治体制を変革したり、レバノンが不安定化することによって生じる損失を負担したりする能力を欠いている。この状況下では、レバノンの政治・社会から「ヒズブッラーとその害悪」だけを摘出するような妙手は生まれないだろう。
参考書籍
『ヒズブッラー 抵抗と革命の思想』 髙岡豊、溝渕正季 解説・訳
(主席研究員 髙岡 豊)
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