中東かわら版

№95 シリア:アメリカが完全撤退の方針を表明

 2018年12月19日、アメリカ政府はシリアに派遣している部隊を完全撤退させると発表した。また、アメリカ筋は、「軍の部隊だけでなくシリアに駐在している国務省の職員も24時間以内に撤収する。アメリカ軍部隊が全て撤退するまでの期間は60日~100日である」旨述べた。これについて、トランプ大統領は「アメリカ軍は「イスラーム国」と戦うためだけにシリア領に駐留しており、任務は達成された」とツイートした。

 この方針を受け、ロシアの外務省は「シリア紛争の政治決着の見通しを開くものであり、国連などの下で編成が図られているシリアの“制憲委員会”の編成にも好影響を与えるだろう」と反応した。一方、今般のアメリカの決定はトルコ軍が近日中にクルド民族主義勢力が占拠するシリア領への大規模な侵攻を企画していることと関係しているとの見方も強く、従来アメリカの支援を受けてきたクルド勢力の「民主シリア軍」は、「(今般の決定は)背中を刺す行為であり、多数の殉教者への裏切りだ」と表明した。

 

評価

 

 シリアの『ワタン』紙(親政府の民間紙)によると、すでにアメリカ軍とフランス軍がシリア北部・北東部のアレッポ県、ラッカ県、ハサカ県の拠点から撤収しつつある。今般の撤退決定をトルコ軍のシリア侵攻の可能性と結びつけるならば、欧米諸国はトルコの脅迫に屈した形となる。また、アメリカ軍が占領しているシリアとイラクとの国境通過地点のタンフとその周辺は、トルコ軍が侵攻・占領を意図している地域とは全く無関係である。ここから、アメリカ軍の撤退決定をトルコ軍の動向でのみ説明することには無理がある。

 一方、トランプ大統領が表明した「イスラーム国」に対する任務の終了についてであるが、「イスラーム国」がシリアやイラクのみならず世界的にも政治・社会的意義を喪失したのは最近のことではない。その上、同派の戦果発表を見る限り、局地的な攻撃・破壊活動はアメリカ軍やその配下の勢力の活動地域で現在も続いている。ここから、現時点でわざわざ「イスラーム国」を打倒した云々と表明する状況認識には疑問符を付けざるを得ない。

 シリアからのアメリカ軍の撤退決定の理由や意義について評価が難しい最大の理由は、そもそもアメリカがシリア領を空爆したり、一部を占領したりする根拠をアメリカ自身がはっきり説明しえなかったことにある。アメリカ軍のシリア介入の理由としては「独裁政権からのシリア人民の保護」、「シリアの体制転換(またはシリアの体制の本質的変革)」、「「イスラーム国」対策」、「イラン(またはロシア)の影響力伸張の抑止」など様々挙げることができるが、アメリカ軍の行動を含む同国の対シリア政策は、このどれを実現するにも中途半端な水準にとどまっていたといわざるを得ない。

 今後、まさにアメリカによって「はしごを外された」形となり、トルコの軍事的圧力に直面することになるクルド民族主義勢力が事態にどう対処するかが短期的な焦点となる。アメリカ軍の完全撤退までに要する期間が最大で100日程度と予想されているが、彼らがこの期間内に「既得権益の保持」と「トルコの侵攻回避」を両立させる対応をとることは難しいだろう。ただし、シリア紛争全体の文脈から見ると、イドリブ県を占拠するイスラーム過激派の討伐を含め、「シリア政府がどの程度シリア領全体に対する統制を回復できるか」、「タンフ通過地点を含むシリアと周辺諸国を結ぶ幹線道路の機能を回復できるか」が諸当事者の課題となっている大局的状況にはさしたる変化は見られない。12月16日にはスーダンのバシール大統領がシリアを訪問し、今後もイラクなどアラブ諸国の首脳がシリアを訪問する可能性が取り沙汰されていることから、アラブの外交場裏へのシリア政府の復帰や、政府軍によるタンフ通過地点の制圧、同通過地点の再開のような課題が急速に進展する可能性もある。

(主席研究員 髙岡 豊)

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