中東かわら版

№49 イラン:カスピ海の法的地位協定に署名

 8月12日、カザフスタンのアクタウで、カスピ海沿岸5カ国(イラン、トルクメニスタン、カザフスタン、ロシア、アゼルバイジャン)による第5回首脳会議が開催され、カスピ海の法的地位に関する協定が署名された。また、協定と共に6分野(テロ組織・組織犯罪対策、国境管理組織、経済、運輸、海域での事故、災害防止)の協力に関する文書にも署名されている。カスピ海の領有権を巡っては、1991年のソ連崩壊以降睨み合いが続いており、2002年からは首脳会議(カスピ海サミット)が開催されるなど、20年以上にわたり争議が続いてきた。今般の24条にわたる協定書は露大統領府サイトで同日公開され、イランでもファールス通信など各紙が全文を掲載している(いずれも8月12日付)。以下に重要な点を要約する。

・各国の沿岸15カイリ(約28㎞)を領海、同25カイリ(約46㎞)を漁業水域(実質的には排他的経済水域/EEZ扱い)とする

・海底資源の分割については、当該二国間協議により解決する

・カスピ海における沿岸諸国以外の活動をみとめない

・海底ケーブルやパイプラインの敷設については、それが通過する国同士の合意に基づく

・協定の修正や補足については、5カ国全ての同意を必要とする

・年1回程度、各国外務省の管轄で上級会合を行う

 

評価

 今般の協定により、20年以上にわたるカスピ海の法的地位問題に一応の決着がついた形となった。協定が歴史的な合意であると評される一方で、地域大国としてのイランの苦しい立場が露呈されたという見方も強い。イランにとって不利な形での決着となったためだ。

 カスピ海は約37万㎢の面積を誇る世界最大の塩湖で、水上交通や漁業の要であり、世界三大珍味の一つのキャビアとなる魚卵を持つチョウザメの産地としても知られる。しかしそれ以上に、カスピ海は天然資源の豊かさで重要視されてきた。海底には約500億バーレルの石油、約8兆4000億㎥の天然ガスが埋蔵されると推定され、その規模はペルシア湾岸に次ぐといわれている。故に、これまでカスピ海の領有権は大きな争点となってきた。

 領有権の問題で特に注目されたのが、カスピ海を「海」とするか「湖」とするかという定義の問題であった。もし「海」とするならば、国際海事法「海洋法に関する国際連合条約」(国連海洋法条約)に基づいて領海と排他的経済水域が設定されるため、海岸線の長さに応じて領有率に差が生じる。一方で、「湖」と定義するならば、国際的慣習によって沿岸諸国で均等に分割され、海底資源は共同管理となる。この問題について、海岸線が最も短いイランが「湖」を主張し、それ以外の4カ国が「海」を主張する形で議論は平行してきた。しかし、今般の協定では、定義の明言は避けられたものの、イラン以外の4カ国が主張する「海」的な定義に基づいた分割が採用となった。

 この難航してきた協定が動いた背景には、やはり米国のイラン核合意(JCPOA)離脱を巡るイラン‐米国関係の悪化があると見てよいだろう。8月7日に対イラン制裁の第一段階が再開されたことで、イランは苦境に立たされている。問題となったJCPOA加盟国のうち、表立って制裁を非難し、イランとの取引を継続しているのはロシアと中国である。そのロシアに対してイランが強く出られなかったという事情が垣間見える。そのため、イラン国内では「ロシアにカスピ海を売った」といった内容のツイートを始め、今般の結果を敗北と捉える見方も存在する。これに対し、ロウハーニー大統領は15日の閣議において、カスピ海の安全保障が確約された意義を確認した上で、法的地位問題は今般の協定で最終的な結論に至ったわけではなく、今後も交渉を続ける用意があると強調した(メフル通信、8月15日付)。

 ロウハーニー大統領が主張したように、協定の中で、海底資源の分割が二国間協議によるものと定められたこと、通常の「海」ならば保障される公海における航行の自由を認めない旨が明記されたことは、イランにとってある程度の救いとはなるだろう。前者については、二国間協議であれば、まだ交渉の余地が残されていることを意味する。これを見越して、ロウハーニー大統領は、12日のサミットの傍ら、カザフスタンのナザルバエフ大統領、アゼルバイジャンのアリエフ大統領、ロシアのプーチン大統領とそれぞれ会談を行い、二国間関係の強化を図った。また、後者については、カスピ海から米軍艦が排除されることを意味しており、イランにとっての脅威を一つ取り除いたことに繋がっている。

 協定への署名をきっかけに、カスピ海では資源開発やパイプライン建設など、大型プロジェクトの活発化が見込まれている。しかし、暫くは油田・ガス田の帰属をめぐっての二国間協議が継続されるため、プロジェクトは難航することになるだろう。イランにとっては、対イラン制裁による経済的打撃に対応しつつ、今後の国益を左右するカスピ海の天然資源問題に取り組まねばならない状態である。加えて、今般の協定において、カスピ海周辺におけるロシアの影響力の大きさが顕著となった。イランは米国による制裁のためにロシアへの接近を余儀なくされているが、地域大国としての矜持から、完全な影響下に入ることなくある程度の距離を保ちたいという思惑がある。対米関係の緊張だけでなく対露関係のバランスにおいても、今後イランは更に苦しい立場に立たされることになるだろう。

(研究員 近藤 百世)

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