中東かわら版

№77 サウジアラビア:イラクのシーア派政治勢力との接近

 7月30日、イラクのシーア派政治勢力「サドル潮流」の指導者であるムクタダー・サドルがサウジアラビアを訪問し、ムハンマド・サルマーン皇太子と会談した。ムクタダー・サドルのサウジ訪問は2006年以来で、11年ぶり。両者はサウジ・イラク関係について協議したとされ、サドル側はこれが地域における宗派紛争の後退の端緒となることを望むとの声明を発出した。

 これに先立つ7月19日、イラクのアアラジー内相がサウジを訪問し、同じくムハンマド・サルマーン皇太子と会談している。アアラジー内相は、1980年代のイラン・イラク戦争でイラン革命防衛隊の訓練を受けてサッダーム・フサインと戦ったバドル組織の主要メンバーであり、イラク国会におけるバドル会派の会長を務めている。アアラジー内相のサウジ訪問は、6月にアバーディー首相のサウジ訪問に同行して以来であり、短期間のうちに2回も訪問していることになる。

 

評価

 2003年のイラク戦争以降、イランの影響が強いシーア派政権がイラクに成立したことで、サウジ・イラク関係は冷え切っていた。2014年にイラクでアバーディー政権が成立すると、サウジ・イラク関係に改善の機運が生じ、2016年1月には在イラク・サウジ大使館が26年ぶりに業務を再開した。もっとも、このとき駐イラク・サウジ大使に任命されたサブハーン大使は、イランによるイラクの内政干渉を批判するなど、イラク国内で軋轢を生む発言を繰り返したことから、イラク外務省は同大使の解任をサウジ側に要請することとなった。今回、ムクタダー・サドルの訪問を空港で出迎えたのは、大使解任後、湾岸担当国務相に任命されたそのサブハーンであった。

 ムクタダー・サドル率いるサドル潮流は、小党が乱立するイラクにおいて議会で第3位の勢力となる有力な政治集団であり、平和軍(旧称:マフディー軍)という民兵組織も傘下に置いている。同じシーア派で与党の法治国家同盟とは政治的に対立しており、2016年5月にはサドル派のデモ隊がアバーディー首相の事務所を襲撃して占拠するという事件も起こした。米国やイランなど外国のイラク介入を厳しく批判しているが、サウジにとってはその反イラン姿勢がサドル派との接近を決める要因となったのかもしれない。

 他方で、アアラジー内相の方は、イラク国内においてもイランからの影響がもっとも強いバドル組織の人間である。「イスラーム国」と戦闘しているイラクの民兵組織の集合体である人民動員隊のなかでも中核的な役割を担っているのが、このバドル組織のバドル軍である。サウジがイランによるイラクの内政干渉を問題視する際は通常、このバドル軍がイランからの支援を受けていることを指している。そのため、アバーディー首相のサウジ訪問時にバドル組織のアアラジー内相が同行したことは、それ自体がメディアの注目を集め、サウジ側の対応の変化について様々な推測がなされた。2017年1月にアアラジーが内相に就任した際、サウジ資本の『Al-Arabiya』は同人を「親イラン派」と紹介しており、明らかに敵視する姿勢を示していた。

 両者のサウジ訪問の具体的な内容は明らかにされていないが、これらの動きは「イスラーム国」掃討後のイラク情勢を巡る駆け引きの一環であろう。サウジとしては、「イスラーム国」掃討を名目にイランの革命防衛隊がイラクに展開したことを強く警戒しており、これを排除することを画策していると思われる。サドル派、そしてバドル派への接近は、イランによるイラクのシーア派への影響力を相対化させる狙いがあろう。これまでサウジはイラクのスンナ派部族勢力に対しては一定の影響力を発揮していたが、シーア派住民への浸透を図ることはできなかった。ここに来てサウジはイラクのシーア派政治勢力にも秋波を送ることを決断したが、サウジ訪問が実現したということは、イラクのシーア派政治勢力側もそれに応える用意があることを示唆していよう。

 もっとも、過去の経緯を考えれば、これらの勢力がサウジからの支援を無批判に受け入れ、政治的にサウジ寄りになるということは到底想像できない。サウジに可能なのは、あくまでイランからの支援一辺倒というイラクの現状を緩和させることにとどまるだろう。一方で、今年はイランの巡礼団のサウジ訪問が認められるなど、サウジ・イラン間に緊張緩和の兆しもある。イラクでのサウジ・イランの対立軸が解消に向かうのであれば、サウジ・イラン関係にも改善に向けた変化が生じる可能性がある。

(研究員 村上 拓哉)

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