中東かわら版

№179 イスラーム過激派:ウマル・アブドゥルラフマーンがアメリカで獄死

 2017218日、アメリカの刑務所に収監されていたウマル・アブドゥルラフマーンが死去した。同人は、エジプトのイスラーム過激派組織の「イスラーム団」、「ジハード団」の精神的指導者とされ、1990年にアメリカに移った。1993年に発生した世界貿易センタービルでの爆破事件の首謀者として逮捕され、1996年に終身刑が確定し収監されていた。また、日本人10名が犠牲になった1997年のルクソール事件は同人が指導した過激派の流れを汲む者たちが引き起こしたとされている。

 アブドゥルラフマーンは、ビン・ラーディンやザワーヒリーをはじめとするアル=カーイダの活動家らと関係が深かったため、これまでアル=カーイダによるイスラーム過激派囚人の奪回闘争の象徴として人質解放要求で頻繁に言及されてきた。このため、アル=カーイダは同人が死去したとの報に比較的迅速に反応し、「サハーブ広報製作機構」が同人が以前発表した「遺言」をパンフレットとして配信したほか、「アラビア半島のアル=カーイダ」と「イスラーム的マグリブのアル=カーイダ」が連名で弔辞を発表した。なお、「遺言」は、末尾で自分の死を無駄にせず、暴力的に報復するよう促している。そのほかでは、アル=カーイダと近しい「アンサール・イスラーム団」(かつてはイラク、現在はシリアで活動している)が弔辞を発表した。

 

画像:アル=カーイダの広報部門である「サハーブ広報製作機構」が発表した「ナフィール」9号。ウマル・アブドゥルラフマーンが以前発表した「遺言」を再掲したもの。

 

 

 

 

 

評価

 

 ウマル・アブドゥルラフマーンは、囚人奪回闘争の象徴として、思想面で大きな影響を与えた活動家として、アル=カーイダが頻繁に引用・言及する人物である。218日付けで出回ったアイマン・ザワーヒリーの演説でも、アブドゥルラフマーンに言及している。この演説自体は同人の死について論評するものではないが、今後各地のアル=カーイダが広報キャンペーンを行ったり、彼らが捕らえている人質について解放交渉でなにがしかの意思表示をしたりすることが予想される。ただし、アル=カーイダ諸派については、政治的・軍事的環境の悪化やインターネット上での支持や関心の低下により諸般の活動が低迷しており、弔辞の発表以外の反応が短期間のうちに出るとは限らない。

 

 アル=カーイダ諸派による人質の問題では、シリアで活動する「ヌスラ戦線(現「シャーム解放機構」)」がどのような反応を示すかに留意したい。「ヌスラ戦線」は、シリアで消息を絶った安田純平氏を捕らえていると考えられているが、安田氏の安否や同氏を捕らえているか否かについて全く情報を発信していない。また、「ヌスラ戦線」はシリアにおけるアル=カーイダであるという身元を隠すため、2016年夏にアル=カーイダからの「円満分離」を発表し、「シャーム征服戦線」と改称、さらに2017年に入り他のイスラーム過激派諸派との抗争の中で「シャーム解放機構」へと名称を変更している。一連の名称変更は、シリアの「反体制派」と一体化し、アメリカやロシアなどからの攻撃を避けるための戦術的行動であると考えられている。彼らの誘拐・人質に関する戦術については、囚人奪回や捕虜交換に利用した例が知られているが、20159月にはザワーヒリーが「ヌスラ戦線」に対しアブドゥルラフマーンの奪還闘争のために人質を利用するよう提起したこともある。

 

(イスラーム過激派モニター班)

◎本「かわら版」の許可なき複製、転送はご遠慮ください。引用の際は出典を明示して下さい。
◎各種情報、お問い合わせは中東調査会 HP をご覧下さい。URL:https://www.meij.or.jp/

| |


PAGE
TOP