中東かわら版

№158 イスラエル:米国大使館のエルサレム移転をめぐる議論

 1月9日付の『パレスチナ通信』は、パレスチナ自治政府のアッバース大統領が米国のトランプ次期大統領に書簡を送り、テルアビブにある米国大使館をエルサレムに移転しないよう訴えたと報道した。同書簡で、アッバース大統領は「(大使館の)移転は和平プロセスや地域全体の安定と治安に破滅的な衝撃を与える」とした。翌10日、アッバース大統領は、中東及びイスラーム世界のモスクと教会に対して呼びかけを行い、週末の礼拝の際に、米国が大使館を移転しないよう祈ることを要請した。10日、ムハンマド・シュタイエ大統領顧問は、アッバース大統領は、米国筋から、トランプ政権は大使館移転を真剣に考えているようだと聞かされたと述べている。

 隣国のヨルダンでは、1月5日に政府報道官であるモマニ情報相が、米国大使館のエルサレム移転はヨルダンにとっての「レッドライン」を超えることになり、ヨルダンを含むアラブ諸国と米国の関係が変化し、地域に破滅的な影響を与えると述べた。また米国のケリー国務長官は、6日の米CBSとの会見で、大使館のエルサレム移転について、中東で爆発を起こすものであるとし、イスラエルと和平条約を締結しているヨルダン、エジプトとの関係が変わることになると懸念を表明している。

 トランプ次期大統領は、選挙戦中に、テルアビブにある米国大使館をエルサレムに移転させると述べた。当選後、トランプ次期大統領自身は大使館移転について発言していないが、12月15日には、大使館移転支持を明言する顧問弁護士のデビッド・フリードマンを次期駐イスラエル大使に指名した。同人事については、義理の息子のジャレット・クシュナーの推薦があったと報道されている。トランプ次期大統領は、1月9日、クシュナーをホワイトハウスの上級顧問に指名した。クシュナー上級顧問は、貿易と中東政策を担当すると報道されている。またトランプ大統領就任を前に、上院では大使館をエルサレムに移転させることを求める法案が共和党議員らによって提出され、下院では大使館移転を求める書簡に議員の署名を求める動きが出ている。

評価

 米国を含む各国大使館がテルアビブにあるのは、暫定的な措置である。将来、イスラエルとパレスチナが和平に合意し、エルサレムの法的地位が確定した後、各国大使館はイスラエルの首都に移転することになる。しかし、その時はまだ来ていない。従って現在エルサレムに大使館を開設している国は1カ国もない。米国が、和平が成立する前に大使館をエルサレムに移転するのであれば、未確定のエルサレムの法的地域に関する議論に影響を与えるかもしれない。イスラエルは、そのことを歓迎している。しかし、米国の行動は国際的なコンセンサスを無視したものになる。大使館移転の結果、何が起きるかを明確に予測することはできないが、中東地域に不必要なリスクを増大させるだけの「百害あって一利なし」の動きになるのは間違いない。

 ヨルダン、パレスチナだけでなく、米国のケリー国務長官、マーティン・インディック前中東和平担当特使などが移転のリスクを警告している。トランプ大統領が、CIA、国防省、中東各国に駐在する米国大使らに意見を求めれば、彼らも同様の懸念を指摘するはずである。親米のアラブ諸国も、同じことを言うだろう。そうした意見は、地域を熟知する政治家や専門家の評価であるだけでなく、常識と健全な現実感覚があれば誰も感じる懸念である。米国議会は、1995年に大使館のエルサレム移転を決めているが、米国の歴代大統領(クリントン、ブッシュ、オバマ)は、現実的な判断により大使館移転を先送りしてきた。

 

 トランプ次期大統領及び国務長官、国防長官候補らは、「イスラーム国」撲滅を最優先の政策だと言っている。そうであれば、米国大使館のエルサレム移転は、最もやってはいけないことになる。逆に、もし実行すれば、米国に対する怒りが増大し、「イスラーム国」がその恩恵を受けるだろう。中東を担当する米中央軍の元司令官であったマティス次期国防長官候補は、そのことを誰よりも承知しているはずである。

 

(中島主席研究員 中島 勇)

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