中東かわら版

№155 イラン:ラフサンジャーニー元大統領の死去

 1月8日、アリー・アクバル・ハーシェミー・ラフサンジャーニー元大統領(82歳)が心臓発作により死去した。ハーメネイー最高指導者は、「古い友人の死の報に接し、深い悲しみを感じている」、「意見の相違も二人の友情を壊すことはできなかった」と述べ、その死を悼んだ。イラン政府は三日間の国喪を宣言した。

 ラフサンジャーニーは革命第一世代として、ホメイニーとともにイラン革命を成し遂げた人物の一人である。革命後は、1980年から1989年まで国会議長を務め、イラン政界で中心的な役割を果たしてきた。ホメイニーの死後はハーメネイーの最高指導者就任を手助けし、1989年から1997年までハーメネイー最高指導者・ラフサンジャーニー大統領という「二頭体制」が築かれるなど両者は協調関係にあった。しかし、その後ハーメネイーは自身の権力基盤強化のため、アフマディーネジャードに代表される革命第二世代の登用を積極的に進め、ラフサンジャーニーら第一世代に対抗できる勢力を形成した。だが、アフマディーネジャードが大統領期(2005-2013)にハーメネイーと対立するようになると、再びラフサンジャーニーとの関係改善が図られた。

 ラフサンジャーニーは大統領の任期終了後も、公益判別評議会議長(1989-2017)、専門家会議議長(2007-2011)と要職の地位にあり、保守穏健派勢力の顔となる存在であった。現大統領のロウハーニーはラフサンジャーニーと関係が近く、2013年の大統領選もラフサンジャーニーの公認の支持を得られたことが当選につながったと見られている。2016年2月に行われた専門家会議議員選挙では、ロウハーニーの224万票を上回る230万票を獲得してトップ当選を果たしており(詳細は「イラン:第10期国会議員選挙・第5期専門家会議議員選挙の実施」『中東かわら版』No.175(2016年3月1日)、強い政治的影響力を持っていた。

 

評価

 ラフサンジャーニーの突然の死去は内外で驚きをもって迎えられた。82歳と高齢であるものの、健康状態に不安があるとは指摘されておらず、死亡した前日まで通常通り政務を行っていたとされている。

 今後の展開として考えられることは、第一に、保守穏健派勢力の衰退である。革命第一世代として政治経験の豊富なラフサンジャーニーの権威・権力を代替できる人物はおらず、勢力内で世代交代が進み頭角を現す人物がでてこない限り、ラフサンジャーニー不在の影響から逃れることはできないだろう。

 直近のところでは、5月に予定されている大統領選においてまずその余波が観測されることになるだろう。再選を目指すロウハーニーにとっては、有力な後援者がいなくなったというだけでなく、保守穏健派勢力をまとめ上げ、その他の勢力との調整役を失ったことも意味しており、大きな打撃となりうる。2013年の選挙においても当初ロウハーニーは有力な候補とみられておらず、多くの者の関心はラフサンジャーニーの立候補が認められるかどうかにあった。結果、ラフサンジャーニーは大統領選への出馬が認められず、ロウハーニー支持に動いたこと、そして改革派勢力からの支持を取り付け、保守強硬派に対して候補者を一本化することに成功したことが、選挙戦での勝利につながった。

 また、国際社会にとっては、イラン中枢との有力なパイプが失われたことになる。大統領辞任後、ラフサンジャーニーは欧米諸国やサウジ等周辺のアラブ諸国との対話の窓口として存在感を発揮していた。ロウハーニー政権下ではこうしたパイプ役の必要性は乏しかったが、次の大統領選において保守強硬派が勝利し、アフマディーネジャード政権期のような路線がとられるならば、重要な役割を担うこともあったであろう。

 他方、ハーメネイーも77歳になり、革命第一世代全体が老齢化しているという問題もある。専門家評議会議長と監督者評議会書記を兼任するジャンナティーも89歳になっており、近い将来に複数の主要ポストで世代交代が発生することに変わりはない。ポスト・ハーメネイー体制では革命を主導してきた人物以外が主役に躍り出ることになるだろうが、これにあわせてイラン政界全体で再編の動きが強まっていくだろう。

 

(研究員 村上 拓哉)

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