中東かわら版

№86 シリア:トルコ軍の侵攻後の軍事情勢

 2016年8月24日、トルコ軍の地上部隊がシリア領に侵攻し、シリアとトルコの国境に位置し、「イスラーム国」が占拠していたジャラーブルス市一帯を占領した。今般のトルコ軍の介入は、シリア紛争の諸当事者の相関や勢力図を大きく塗り替える行為となるのであろうか。

図:2016年9月2日時点のシリアの軍事情勢(筆者作成)

オレンジ:クルド勢力
青:「反体制派」(実質的にはアル=カーイダとの分離後「シャーム征服戦線」と改称した「ヌスラ戦線」などのイスラーム過激派)
黒:「イスラーム国」
緑:シリア政府

  1. トルコ軍は「イスラーム国」が占拠していたジャラーブルス市とその周辺を奪取した。トルコ軍の支援を受ける「反体制派」が「イスラーム国」やクルド勢力から占拠地域を奪取しようとしている模様であるが大きな前進はない。「イスラーム国」、クルド勢力共にトルコ軍との本格的な交戦を避けている。
  2. アレッポ市南部を中心に政府軍・親政府武装勢力と、イスラーム過激派諸派を主力とする「反体制派」が交戦。政府側は7月に一旦アレッポ市東側の市街地を完全に包囲することに成功した。8月上旬に「反体制派」がアレッポ市の南側から包囲線を突破したが、市街地に本格的な補給や増援を行うには至っていない模様。現在は包囲を再建しようとする政府側が攻勢をかけている。
  3. 8月下旬から、「アクサー軍」を名乗るイスラーム過激派武装勢力を主力として「反体制派」がイドリブ県からハマ市方面へ南下。「反体制派」が進撃中。
  4. ダマスカス市南西のダーライヤー地区の「反体制派」武装勢力が政府軍による長期間の包囲に屈し、重火器の放棄と退去に同意。隣接するマアダミーヤ地区でも同様の「和解」合意が間近との情報がある。また、ダマスカス市東郊の東グータ地区でも政府軍がイスラーム過激派勢力の「イスラーム軍」などに対して攻勢中。
  5. パルミラ市東方で政府軍と「イスラーム国」とが交戦中。早期にダイル・ザウルとの連絡を回復しようとした政府軍の試みは頓挫。
  6. ダイル・ザウル市で政府軍と「イスラーム国」とが交戦中。ダイル・ザウル市には国連やロシア機が食糧などの物資を投下している。
  7. ハサカ県では、県庁所在地のハサカ市とトルコとの国境部にあるカーミシリー市の一角を政府軍が掌握している。8月中旬にハサカ市にて政府側とクルド勢力が交戦した結果、同市の9割をクルド勢力が占拠した。この戦闘の際、政府軍が紛争勃発後初めてクルド勢力を空爆した。

評価

 トルコ軍の侵攻を待つまでもなくシリア各地で激しい戦闘が続いているが、基本的な配置は「反体制派」と「イスラーム国」が政府軍・親政府勢力を挟撃する形となっている。実際、「反体制派」と「イスラーム国」とはアレッポ県北部のごく狭い地域で時折小競り合いを展開する程度で、本格的に交戦していない。また、トルコ軍の意図が「イスラーム国」との戦いであろうが、一定の範囲からクルド勢力を排除することであろうが、「安全地帯」を設営することであろうが、それがアサド政権の打倒につながるような大規模な派兵や戦闘につながる可能性は非常に低い。注目すべき点としては、ハサカ市での政府軍とクルド勢力との交戦の際、政府軍の司令部がクルド勢力をPKKと呼称する声明を発表した点がある。シリア北部を占拠するクルド勢力がPKKと近しい関係にあると見られているのは周知のことであるが、シリア政府は「イスラーム国」や「反体制派」との戦闘でクルド勢力と連携する立場にあり、従来クルド勢力へのあからさまな敵意の表現とも言えるPKKとの呼称を用いてこなかった。一方ロシアとの「関係正常化」を果たしたトルコの高官からシリア紛争の政治解決について従来は打倒・排除を公言していたアサド政権に対し「移行間中の存続」を容認する発言が出始めており、クルド勢力の扱いや紛争の政治解決に向けてシリアとトルコとの「手打ち」が近いとの憶測もある。

 上記のような相関は一見すると「複雑」かもしれないが、シリアの政治体制や国境に対する各当事者の立場という観点からは、「シリアの政治体制の大幅な改編、領域の解体・国境線の変更や破壊」を目指す側(「反体制派」、「イスラーム国」、クルド勢力)と「現行の体制の維持・回復」を基調とする紛争解決を志向する側(シリア政府・親政府諸派)との戦闘となっていることがわかる。中東の政治体制・国際関係の現状維持に利益を見出すロシアやイランが政府側を支援することはある意味当然のことといえる。一方、「紛争が複雑化している」のならば問題は中東諸国の国境の大幅な変更や個別の国家の崩壊を本来は望まない、仮にそうした事態が発生しても新秩序の創出や管理のための構想も費用負担の用意もない欧米諸国やサウジ、トルコのような諸国が前者に属する勢力を支援しているところにある。

(主席研究員 髙岡 豊)

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