№78 チュニジア:シード内閣の不信任が成立、挙国一致内閣へ
7月30日、チュニジア議会でシード内閣の信任投票が行われた。出席議員191人のうち不信任118、信任3、棄権27という結果となり(※残り43人は投票に参加しなかった左派政党議員と思われる)、内閣は信任を得ることができなかった。シード内閣は次期内閣が組閣され次第、総辞職となる。
シード内閣に対する不信任は、6月2日にシブシー大統領が、現在の社会経済問題を解決するためには挙国一致内閣を結成すべきであると政界に呼びかけたことに端を発する。若者の失業、汚職、治安などの諸問題を解決するための改革が進まないことに国民は不満を募らせており、これへの対処として大統領が挙国一致内閣を提案した。
連立与党や野党(左派を除く)は挙国一致内閣案への賛成をすぐに表明し、数日後には大統領、政党、市民社会(チュニジア労働組合総連合、産業貿易手工業連合、農業漁業組合)によって挙国一致内閣案についての協議が始まった。この中で、連立与党のチュニジアの呼びかけ党などは、挙国一致内閣では新しい首相が任命されるべきと主張し、にわかに「シード下ろし」が始まった。他方、人民戦線や民主潮流などの左派政党は、挙国一致内閣案は連立与党間の問題や、(シブシー大統領が所属する)チュニジアの呼びかけ党の内部対立を解決するために持ち出されたと批判した。7月13日には、挙国一致内閣協議に参加した者によって「カルタゴ合意」が署名され、次期内閣の重要課題がテロとの戦い、開発・雇用対策、汚職撲滅、地方分権、憲法機関の設置であることが確認された。なお、シード首相は7月19日にAttasiaテレビのインタビューで、シブシー大統領から挙国一致内閣案について事前に知らされていなかったと述べ、不快感を示した。しかし自身への辞任圧力が大きくなったため、7月30日、シード首相は議会に内閣信任を問い、自らの辞任を受け入れた。
8月3日、シブシー大統領は、シード内閣で地方問題相を務めたユースフ・シャーヒド(チュニジアの呼びかけ党、1975年生)を次期首相候補とし、組閣を命じた。組閣期限は1カ月後。
評価
シード首相の政治的手腕に対する批判はそれほど聞こえなかっただけに、シブシー大統領による挙国一致内閣案から一気に加速した「シード下ろし」とその結果の内閣不信任成立は、やや唐突な印象さえ受ける。事実、挙国一致内閣案に賛成し首相の辞任を主張した与野党でさえ、首相は何らかの政策的過ちを冒したわけではないし、彼はチュニジアの民主化に大いに貢献したと評価している。ここから、少なくともシード内閣の不信任成立は首相自身の失政に原因があったわけではないと考えられる。
諸政党が挙国一致内閣案をすぐに支持した理由には、各政党の思惑が関わっていると思われる。指導部内の対立が続くチュニジアの呼びかけ党においては、シブシー大統領に近いといわれるユースフ・シャーヒドが首相になれば、大統領の息子ハーフィズの党内権力が拡大する可能性もあり、挙国一致内閣はハーフィズ派にとって好機と見られる。ナフダ党やその他の党にとっては、より良い閣僚ポストを得る好機である。特に、前回の議会選挙での敗北から党勢を巻き返したいナフダ党にとっては、国民の最大の関心事項である社会経済問題への取組みという大義のもと挙国一致内閣に参加し、党の存在感を高めたいはずである。
懸念されることは、今回の内閣不信任が前例となり、今後も社会経済政策の失敗や遅延を理由に不信任案が提出されたり、首相が頻繁に交代して、政権運営や政策の実施が不安定になることである。雇用創出や汚職撲滅は改革政策の実施、成果の確認ともに、長い時間を要する。その間に政府は常に国民の不満に直面し、これに応じなければならない。国民の高まる不満を民主主義という枠組み内で解決するには少なからず不安定さが付きものだが、チュニジアの民主主義がこの重圧に耐えられるのか試されているといえよう。
(研究員 金谷 美紗)
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