中東かわら版

№89 アルジェリア:ムハンマド・メディエンDRS長官の解任

 9月13日、ブーテフリカ大統領は諜報治安局(DRS、国防省傘下)長官のムハンマド・メディエン(通称タウフィーク)を解任し、退役を命じた。後任には、安全保障担当大統領顧問のウスマーン・タルターグが任命された。

 軍、特にDRSが権力中枢(ル・プヴォワール(the power))を担うアルジェリアにおいて、メディエンは内戦中の1990年にDRS長官に就任し、今日まで25年間にわたりアルジェリアの権力中枢の中心に居続けたキング・メーカーといわれる。彼が掌握する絶大な権力ゆえに、メディエンは「アルジェリアの神」と言われていた。政治経済の重要事項の決定には必ず、ブーテフリカ大統領だけではなくメディエンDRS長官の承認が必要とされたアルジェリア政治において、ブーテフリカが彼を解任した動きは注目される。

 

評価

 アルジェリア政治において軍は常に中心的位置を占め、大統領と軍は互いに戦略的な協力関係にあるが、特にDRSは大統領よりも大きな権力を影で握るともいわれてきた。こうした関係において、ブーテフリカ大統領は軍に対する自身の権力基盤を確保するため、2010年頃からDRSの政治的影響力を排除する動きに出ていた。今回のメディエン長官解任は、DRS弱体化を狙った大統領の一連の政策の象徴といえる。

 大統領と軍の関係が明らかに軋み始めたのは、ブーテフリカ大統領が大統領の任期を2期までに限定した憲法を改正し3期目を狙ったときで、軍はこれを快く思わなかった。さらに、ブーテフリカの健康悪化にともない弟サイードへの大統領職の後継が噂され、軍はこうした動きを大統領陣営の影響力拡大と見たと思われる。その報復かどうか定かではないが、2010年、DRS内の捜査局は大統領に近い大物政治家や国営石油公社ソナトラック(Sonatrach)のトップの汚職を摘発し、大統領陣営に衝撃を与えた。しかし、その後、ブーテフリカ大統領は1990年代の内戦に関する特別調査委員会を設置し、内戦中の虐殺事件にメディエン長官が関与していたことを明らかにし、DRS及びメディエンに「仕返し」ともとれる行動をとった。2013年、ブーテフリカの4期目立候補が取りざたされると、さらに大統領とDRSの対立は明白となった。もはや車椅子でしか移動できないブーテフリカは、ポスト・ブーテフリカ時代を見据え、2013~2015年の間にDRSのさらなる影響力低下を狙った数度の人事異動、組織改編を行ってきた。そしてついに、メディエンDRS長官の解任に踏み切った。

 しかし、これでDRSの政治的影響力がすぐに消えるわけではないだろう。メディエンの後任には彼に最も近い人物とされるウスマーン・タルターグが任命されたが、ブーテフリカはかつて、タルターグをDRS内ナンバー2の国内治安局(DSI)長というポストから解任後、わざわざ安全保障担当大統領顧問に任命した。これはメディエンの影響力の排除に対する埋め合わせや、大統領陣営へのメディエン派の取り込みとも解釈できる。つまり、ブーテフリカはある程度メディエンの影響力を残しつつも大統領府が操作可能な程度に留め、DRS側の「逆襲」を防ぐ安全策なのかもしれない。今後は、DRSの一連の人事変更への反応や、ポスト・ブーテフリカ体制に向けた有力者間の連携が、アルジェリアの政局に影響を与えるだろう。

(金谷研究員)

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