中東かわら版

№82 イスラーム過激派:ビン・ラーディンの息子の活動が本格化

 2016年8月17日、アル=カーイダの広報製作部門である「サハーブ」がSNS上でウサーマ・ビン・ラーディンの息子であるハムザ(1991年生まれ)の演説ファイルを発表した。ハムザは2016年に入り5月(シリア、パレスチナでのジハード扇動)、7月(世界規模でのジハード扇動)に演説ファイルを発表するなど、イスラーム過激派の広報場裏での活動を活発化させている。今般の演説はサウード家に対する非難と蜂起呼びかけであるが、要点は以下の通り。

  • 二聖地の国(注:アラビア半島)で不正と暴虐が増し、支配体制によるシャリーアに反する行為が増している。我々のメッセージは、暴虐に対し立ち上がれということだ。これは、アメリカの代理人たちへの蜂起の呼びかけだ。
  • 二聖地の国には、ムスリムにとって聖なる重要性があると共に、地理的・戦略的・経済的な特質がある。それは、アラビア半島が世界の中心であり複数の海に面して多くの海峡を扼する点、世界の海上通商路を制する点、石油やその他の天然資源の産出路を制する点である。かかる重要性に鑑みると、我々のメッセージは「二聖地の国における変革の利点はウンマ全体に還元し、しかる後に二聖地の国自身にかつてそうであったようにイスラーム共同体への主導権として戻ってくる」というものだ。
  • サウード家は、実はウンマの敵である。サウード家はムスリムに敵対し、十字軍と背教者共の友なのだ。
  • 優先事項は、二聖地の国を敵から防衛することだ。あらゆる者にとって、ラーフィダ(注:シーア派に対する蔑称)の危険性が明白となった。彼らは複数の戦線から二聖地に向けて攻め込んでいる。また、二聖地の国内部からも攻め込んでいる。サウード家は20年以上にわたるラーフィダの侵攻を迎撃できず、世界にラーフィダの一団体の侵攻すら撃退できないサウード家の軍の弱体が知れ渡った。
  • 二つの危険な真実がある。第一は、サウード家とその軍は二聖地を防衛する者ではないということだ。彼らがフーシー派に連敗していることが何よりの証拠だ。第二は、報道機関や政治家の言葉に反してラーフィダが着実に二聖地に侵攻しているということだ。
  • 我々はアラビア半島の全ムスリムに言論、報道、Twitterで変革に加わるよう呼びかける。同様に、ウラマーなどムスリムの選良にはSNS上でムスリムの自覚を守るための委員会を編成するよう呼びかける。彼らの役割は、変革を扇動し、人民の自覚を促し、サウード家の政府がしていることの事実を明らかにすることだ。若者や能力がある者に対しては、ムジャーヒドゥーン同胞に合流して必要な技能を得るよう呼びかける。

評価

 ハムザ・ビン・ラーディンがアル=カーイダの広報活動で「デビュー」したことは、ビン・ラーディンをはじめとする有力活動家をアメリカ軍によって相次いで殺害された上、戦果や広報の量・質の面で「イスラーム国」に圧倒されているアル=カーイダにとっては数少ない挽回の材料といえる。その一方で、ハムザの活動が掲示板やSNSなどのインターネット上の広報活動が低迷しているアル=カーイダに支持者や読者を呼び戻す上でどの程度成果を上げるかは疑問が残る。既にインターネット上でのイスラーム過激派のファン層は「イスラーム国」やその支持者による匿名の即興的な広報に慣れ親しんでおり、アル=カーイダの伝統的な手法である、コーランや預言者ムハンマドの言行録(ハディース)、その他先人たちの著作からの引用を多用した長い文書や長時間の演説・動画を受容する知的水準に達していない状況にあるからだ。これまでハムザが発表した演説は概ね20分程度であるが、「イスラーム国」的な広報に慣れ親しんだ者から見れば「長い」と感じる可能性が高いだろう。これに加えて、ハムザには父であるウサーマ・ビン・ラーディンのようにジハードの戦場での実績がなく、組織の運営面でもハムザが関与した重要な攻撃事件などが発生していないため、イスラーム過激派の活動家としての実績が欠如している。実際、アル=カーイダに与する掲示板サイトの活動や、アル=カーイダの関係者や支持者のものと思われるSNSのアカウントの読者数は不振を極めており、これが持ち直す目処も立っていない。

 更なる注目点としては、ハムザがサウード家を非難する論拠としてシーア派の伸張に対する無能を挙げた点である。従来、アル=カーイダの主要活動家がサウード家を非難する際は、アメリカをはじめとする十字軍の手先としての非難や、イスラエル・シオニズムとの戦いの文脈での非難が中心で、シーア派やイランに対する敵視はあまり見られなかった。これが、2011年以降のアラブ諸国での政治変動や、「イスラーム国」の伸張を受け、アイマン・ザワーヒリーも「ラーフィダ」とのシーア派に対する蔑称を用いるなど、論調に変化が生じてきたのである。こうした論調の変化もイスラーム過激派のファンや支持者を自派にひきつけようとする努力の一環と考えることができる。その一方で、シーア派に対するアル=カーイダの認識や論調の変化は、中東における国際情勢を主にスンナ派対シーア派の宗派対立として認識する情勢認識や報道機関などの論調を反映しているものと解することもできる。

(イスラーム過激派モニター班)

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