中東かわら版

№105 トルコ:シリア・アサド政権の崩壊とトルコへの影響

 

 2024年12月7日、エルドアン大統領は南東部ガズィアンテプで開催された与党・公正発展党(AKP)の会合で、シリア情勢に対する見解を表明した。この発言は、反体制派勢力、とりわけシャーム解放機構(HTS)がアサド政権軍に対して軍事的優勢を確保しつつある状況下で行われたものである。エルドアン大統領は、「現在のシリア情勢は、政治的にも外交的にも新たな現実を生み出している」と述べたうえで、「シリアは民族、宗派、宗教を問わず、すべてのシリア国民の国である」と語った。さらに、シリア国民には自らの未来を自由に決定する権利があるとし、「シリアの領土保全を確保するためには、紛争の当事者と国際機関が具体的かつ積極的に支援を行う必要がある」と強調した。

 また、フィダン外相も、12月5日から7日にかけて、アラブ連盟のアブルゲイド事務総長、ロシアのラブロフ外相、イランのアラーグチー外相、米国のブリンケン国務長官らと相次いで会談し、シリアを含む地域の急速に変化する情勢に対応するため、積極的な外交活動を展開している。この一連の外交は、地域の勢力図が揺らぐ中で、安定確保と影響力拡大を目指すトルコの戦略的対応を反映している。

 一方、トルコのメディアは、トルコが支援するシリア国民軍(SNA)が、HTSとは別に、クルド系武装勢力、特にクルディスタン労働者党(PKK)とそのシリア側組織であるクルド人民防衛隊(YPG)の動きを封じるため、取り組みを強化していると報じた。SNAは、ラッカとアレッポを結ぶ主要ルートを遮断し、マンビジュ市街を三方向から包囲することで、「テロ回廊」を分断したと主張している。

 シリアでは、2024年11月27日にアレッポ西部の農村部でアサド政権軍とHTS間の戦闘が再燃した。11月30日までにHTSは、アレッポ中心部の大半を掌握し、イドリブ県全域で優勢を確立した。以降、HTSは優勢を保ったまま南進を続け、12月5日にはハマーを制圧し、翌6日にはホムス県内の主要地域を掌握、12月8日午前に首都ダマスカスへ突入した。アサド大統領は8日に国外へ脱出したと報じられ、同日、ロシア政府は、アサド大統領とその家族の亡命を受け入れたことを認めた。これにより、50年以上続いたアサド政権は、反体制派の本格蜂起から10日余りで崩壊した。  

評価 

 2011年3月に「アラブの春」がシリアへ波及して以降、シリア情勢は、トルコの外交、安全保障、内政の全てに関わる重要な問題であり続けてきた。とりわけ、難民問題とクルド系武装勢力のPKK/YPGとの戦いは、トルコの財政を逼迫させ、国内の治安悪化や欧米との対立を招いた。シリア問題への対応を巡る批判や、難民政策の負担に対する国民の不満は、エルドアン政権の求心力低下を招く一因となっている。特に、都市部の住民や若年層を中心に、政府のシリア政策に対する批判が高まっており、2024年3月の統一地方選挙で与党が敗北する要因ともなった。

 だが、今次HTSの攻勢でアサド政権が打倒されたことは、シリアのみならずトルコにとっても大きな転換点となった。それだけでなく、困難な舵取りを強いられながらシリア紛争に長期間注力してきたトルコの戦略的な勝利をも意味する。しかし、この「勝利」は、新たな問題の幕開けでもある。アサド政権後のシリア再生をめぐる課題は山積しており、地域の安定と多様な利害関係者間の調整が今後の焦点となる。

 第一に、政治体制と統治モデルの構築である。アサド政権崩壊後の最大の課題は、新たな政治体制が構築できるかどうかである。欧米諸国や国際機関からは、選挙による民主主義体制を採用すべきという声が上がっているが、こうした欧米型の民主主義体制は、シリア国内の多様な民族、宗教、宗派が複雑に絡み合う状況下では困難が伴う。また、HTSはアサド政権に代わる統治主体を目指しているが、その統治能力や国際的な正当性の欠如から、シリア全土を安定的に治めることは困難と予想される。一方で、一部のイスラーム主義勢力は、カリフ制の復活を求めているが、これも他の宗派や少数派の反発を招きかねない。現実的には、一定の過渡的な統治機構を設け、国際社会の監視下で徐々に民主的な制度へと移行させていく方法が考えられるが、地域の安定と自国の権益を優先するロシアやイランがこれにどこまで協力するかは未知数である。

 第二に、シリア領土の一体性が維持されるか否か、という点である。トルコはこれまで一貫してシリアの領土保全を主張してきた。なぜなら、エルドアン政権にとって統一されたシリアがトルコ国境の安定化とクルド勢力の抑制に資するため、最も望ましい選択肢であるからである。上述のエルドアン大統領の発言は、こうしたシリア国内の多様な宗教・民族構成に基づく包摂的な統治の必要性を示唆している。しかし、現時点においては、領土分割も視野に入れざるを得ない状況が見え隠れする。仮に分割が現実の選択肢となった場合、HTSの影響地域、地中海沿岸のタルトゥースとラタキアといったロシアの既得権益地域、北東部でのクルド人自治区設立の動き、トルコが支援する北部及び北西部の緩衝地域、米国が支援する南部タンフのシリア民主軍(SDF)の存在など、トルコを含む関係諸国の利害が交錯することから、内戦が長期化し、シリアがさらなる分断状態に陥ることも考えられる。

 第三に民族、宗教、宗派の多様性がもたらす複雑性である。シリアは、アラウィー派、スンナ派、クルド人、ドゥルーズ派、キリスト教徒など、多様な民族や宗教、宗派が共存する国家である。こうした多様性は、今後の和平プロセスにおける利害調整を極めて困難にしている。とりわけ、少数派のアラウィー派のアサド家が長年政権を維持してきたことによる、多数派のスンナ派との溝は深く、報復の連鎖を防ぐための仕組みが必要である。また、クルド人の独立志向とトルコの反発、さらにはアサド政権を支えてきたロシアやイランの影響力をどう調整するかが、和平の成否を左右する。

 こうした状況のなかで、トルコは、シリア再生に向け、域内大国としての影響力を行使しつつ、国境の安定化と難民問題の解決をはかり、自国の安全保障と利益を確保することが求められる。

 トルコにとってシリア情勢は、単なる隣国の問題を超えた戦略的課題であり、今後も地域の安定、国内の安全保障、そして国際社会との関係において、重要なファクターであり続けるだろう。エルドアン政権がこれらの課題にいかに対応するかが、トルコの将来における安定と発展を左右する鍵となろう。

(主任研究員 金子 真夕)

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