中東かわら版

№133 イエメン:サーリフ元大統領が死亡

 2017年12月4日、サナア近郊でサーリフ元大統領がフーシー派によって殺害された。その際、同元大統領が党首を務める国民全体会議党(GPC)のヤーシル・アワーディー党首補佐も死亡、サーリフ元大統領の息子の一人であるハーリドも負傷して捕らえられた模様である。このほか、サーリフ元大統領派とGPC幹部複数についても死亡情報がある。一方、フーシー派のアブドゥルマリク・フーシー指導者は、一連の事態を「イエメン人民の安全と安定を脅かす危険な陰謀を打倒した偉大な日」と論評した。

 

評価

 フーシー派とサーリフ元大統領派との交戦事案が発生するようになったのが11月末、サーリフ元大統領派がフーシー派に対する蜂起を宣言したのが12月2日であることに鑑みると、わずか数日のうちにサーリフ元大統領自身を含むサーリフ元大統領派の幹部の多くが殺害されたことは、フーシー派とサーリフ元大統領派との勢力・戦闘力の差を示すものといえる。2014年秋にフーシー派がサナアに入った時点では、復権を図るサーリフ元大統領派が軍や部族に影響力を行使してフーシー派を招き入れたとの、サーリフ元大統領を黒幕視する見解もあり得た。しかし、サーリフ元大統領らの殺害により、今やこのような見方は成り立たなくなり、サーリフ元大統領派との決裂がフーシー派にとって致命的な打撃となるかについても予断を許さないといえるだろう。

 一方、サーリフ元大統領の息子の一人で、一時後継者とも目されたアフマド(2004年~2012年まで共和国警備隊司令官、2013年~2015年まで駐UAE大使)が、父親の役割を引き継ぐ可能性もある。同人については、サウジに到着したとの未確認情報もある。いずれにせよ、サーリフ元大統領派の要人が多数死亡したことにより、イエメン紛争の中でイエメン国内の諸当事者の配置や相関が大きく変動すると思われる。

(主席研究員 髙岡 豊)

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