№1 シリア:アメリカとロシアがアサド大統領の処遇で合意?
2016年3月31日付『ハヤート』紙(サウジ資本の汎アラブ紙)は、アメリカとロシアとが外交上の「バック・チャンネル」を通じてアサド大統領の処遇について合意したと報じた。これによると、「アサド大統領は(シリア危機の解決のための)政治過程のいずれかの段階で“第三国”へ出国するが、その時期は不明」とのことである。なお、24日にはアメリカのケリー国務長官がロシアを訪問し、同国のプーチン大統領と2016年8月末までにシリアでの暫定政権の樹立、憲法草案策定を完了させる旨同意している。一方、ロシアの外務省は31日中にこの『ハヤート』紙の報道を否定した。
評価
シリア紛争の政治的解決に当たり、アサド大統領の処遇はかねてより懸案となってきた。今般の報道は、29日~31日にかけてシリアの報道機関が報じたアサド大統領とロシアの通信社との会見の中で、アサド大統領が早期の大統領選挙実施の可能性や(「反体制」派を含む)挙国一致政府の編成に言及したことが、「反体制派」側に立って紛争に関与する諸国や、「反体制派」を支持する論調の報道機関にとって「譲歩」の一歩として解釈されたことと同時期に現れた。そのため、今般の報道そのものが、シリア紛争の当事者の一部の希望的観測を反映した解釈論や憶測の域を出ないものと考えることもできる。
「反体制派」がシリア国内で政治的にも軍事的にも実体がなく、紛争がシリア政府軍やクルド勢力と「イスラーム国」などのイスラーム過激派との武力衝突に収斂しつつある現在、「政治的移行」の日程案にのみ固執した合意は、現実的ではない。アメリカにせよロシアにせよ、日程案を実現したりシリアにおける政治的移行を達成したりするために自らが多数の陸上部隊を派遣して状況を掌握する意志がないことも、合意の現実性に疑問符をつける。また、紛争に介入する外国の間だけでの合意や日程案が、本質的にはシリア人民を疎外したものであることも見逃すことはできない。これに加えて、アサド大統領の処遇や「移行体制」がどのようなものになるかを問わず、「イスラーム国」やシリアにおけるアル=カーイダである「ヌスラ戦線」がシリア領内で領域を占拠し、破壊活動を行うことには何の変わりもない。そのため、「アサド大統領の第三国への退去」は「シリアでの紛争や危機の解決」を意味しない。
アサド大統領の処遇が懸案事項となるのは、紛争解決のための考え方が、現行の政府を強化することによって事態の打開を図る発想と、事態の打開の第一歩がアサド大統領の排除であるとの発想とに二極化しているからである。前者の考え方に立つとシリア人民の権利の増進や政治的自由の実現という問題への対処が省みられない恐れが生じる。また、後者の考えに立つと「アサド後」の受け皿が全く準備されないまま現行の政府・軍などの体制や地域の安全保障の枠組みを解体することになりかねない。シリアに限らず、権威主義的な統治体制をとる諸国では、選挙や国民の合意を基盤として統治体制が形成されるのではなく、統治者個人や統治体制の個性や構想を基に国民や社会そのものが形成されるという、土台と頂点が逆転している状況になっていると言える。従って、シリアにおいてもアサド大統領に代表される統治体制の部分を事後の構想とその実現の手順を明示することなしに排除・解体することは、現行のシリアを存在させている社会や国民そのものを解体することにつながりかねない。アメリカ、ロシアなどの大国や国連を含むシリア紛争の当事者には、シリアの将来像についてなるべく包括的でなおかつ現実的な構想と、それを実現するための手順、各当事者の負担の量・質を明示することが求められているのである。これをおろそかにしては、いかなる日程案や移行政権構想のようなものも、現実的なものとはならないだろう。
(主席研究員 髙岡 豊)
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