2023年度外交・安全保障事業
- NEWコメンタリー
- 公開日:2026/02/06
観光政策はサウジアラビアの何を変えているのか
MEIJコメンタリーNo.11
中東調査会協力研究員 高尾 賢一郎
サウジアラビアにとっての「変化」
神と皇帝、霊(心)と肉(身)、聖と俗。西洋キリスト教社会に長く根づいた二分法的な思考様式は、ともすれば現在のサウジアラビアの変化を、イスラーム社会における脱イスラーム、保守的な社会における開放、中世的社会の近代化という具合に、単純化した二項対立に基づいた理解に導きがちである。さりとて、2016年に開始した経済マスタープラン、サウジ・ビジョン2030を通して、石油とイスラームを飛車角とするサウジアラビアのパブリックイメージが変わりつつあるのは事実だ。経済多角化と宗教的規範の緩和によって、石油とイスラームを軸に−−−−現実にはまだその存在感が強いとはいえ−−−−同国を語ることは、少なくともサウジアラビア人の間では今や時代遅れ、日本風に言えばさながら「昭和な」ナラティブであると感じさせられる。
サウジアラビアをめぐる変化について見聞きするものの多くは、よく知られているように娯楽の普及と女性の権利拡充に関するものである。日本のアニメを取り上げたイベントや女性の自動車運転解禁等、今日のサウジアラビアでこの手の話題は事欠かない。娯楽と女性がかくも変化の対象となっている理由は比較的単純で、ビジョン2030は経済成長を見据える上で経済多角化と海外からの投資および国内消費の増大を目指してきたからだ。娯楽は新たな投資と消費を促すセクターとして期待されており、女性の社会進出やこれを可能にする各種規制の緩和も、国民の半分を経済活動に参画させることにつながる。
加えて重要なのは、とりわけサウジアラビアという国において以上の変化は単なる経済政策を超えた挑戦として注目される点である。ビジョン2030による変化は、国教であるイスラームに紐づいた価値観よりも国家にとっての実利に適った価値観に国民を向かわせる試み、ヴェーバーの言葉を借りれば価値合理的行為や伝統的行為から目的合理的行為への転換であり[1]、国民の思考・行動様式を根本から変えうるものだ。この変化は人口の過半数を占める30歳代以下の若者を中心におおむね支持されている。保守的、閉鎖的、排他的と非難されながらも、変化に慎重であったサウジアラビア国民が変化を肯定的に捉えるようになった−−−−このことが何より大きな変化に思われる。
観光政策の展開
こうした変化の波をサウジアラビアが迎える中で、観光政策もまた重要な役割を担っている。2019年9月、サウジアラビアが観光査証の発給を開始したことは、日本を含む海外のメディアでも大々的に報じられた。ここに至るまでの軌跡をごく簡単に振り返りたい。
1950年代以降、石油輸出に伴う国家の発展を背景に長いベビーブームを迎えたサウジアラビアは、1990年時点で30歳以下が国民の過半数、しかも出生率約6という若齢社会に突入していた。しかし公務員と石油関連分野に大きく依存した当時の労働市場では、増え続ける若者の雇用を賄えない。まさに「資源の呪い」である[2]。このため同国は新たな産業を必要とし、その1つとして選ばれたのが観光だった。
観光を所掌とする公的機関は2000年代以降に設立された。最高観光委員会(SCT: Supreme Commission for Tourism, 2000-2008)に始まり、サウジ観光・遺跡委員会(SCTA: Saudi Commission for Tourism and Antiquities, 2008-2015)、サウジ観光・国家遺産委員会(SCTH: Saudi Commission for Tourism and National Heritage, 2015-2020)と名を変え、2020年には観光省が新設された。当然、これらは単に名を変えただけでなく、それぞれの改組に合わせて転機と呼べる出来事があった。SCTAへの改組は、マディーナ州にある古代ナバテア人の遺跡マダーイン・サーリフが、2008年にサウジアラビア初のUNESCO世界遺産(文化遺産)認定されたことを背景とする。またSCTHへの改組は2015年のサルマーン国王の現治世の開始を受けつつ、翌年のビジョン2030発足を見据えたものだ。そして観光省の設立は前年の観光査証発給を受けたものである。国内の遺跡を観光資源として活用し、さらには観光をナショナリズムの強化ないし創造に資するものと位置づけた上で、観光が省レベルで執り行うハイレベルな事案に昇華した過程がよくわかる。
写真1:SCTA主催の観光促進イベントの様子。(2012年2月19日、リヤドにて筆者撮影)
ジャーヒリーヤの再評価
マダーイン・サーリフを皮切りとして、サウジアラビアでは立て続けに世界遺産が誕生し、2026年1月時点で8つが認定されている(文化遺産7つ、自然遺産1つ)。この内、一般の観光客が容易に訪問できるものは限られているため、世界遺産認定がただちに観光産業の経済効果を生んでいるわけではない。しかしサウジアラビアの場合、経済効果とは別の、あるいはそれ以上に重要な意味もそこには見出せる。
まずもって、歴代の主要イスラーム王朝との連続性を持たないサウジアラビアの文明的な豊かさが掘り起こされた点が挙げられよう。文明史というソフトパワーの面で、サウジアラビアが歴代の主要イスラーム王朝の中心であったイラン、エジプト、シリア、トルコといった周辺諸国の後塵を拝してきたことは疑いのない事実だ。
その上で、認定された世界遺産がいずれもイスラームとは無縁なものである点は、サウジアラビアにまた別の重要な意味を与えうる。1744年、サウード王家の始祖であるムハンマド・イブン・サウードと、イスラーム法学者ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブがディルイーヤという場所で交わした盟約に基づいて、サウジアラビアはアラビア半島に純真なイスラームに基づく社会形成を国是としてきた[3]。そしてそのことは、長く同国におけるイスラームと観光の相性の悪さにつながってきたと言える。同国が目指した純真なイスラームとは、聖典クルアーンと預言者ムハンマドの慣行スンナに根拠をもたないイスラーム文化を反イスラーム的なビドア(新奇なもの)として排除することで実現可能なものであり、それゆえ周辺諸国なら観光資源化しやすいイスラーム文化の諸要素、例えば民間信仰的な面を持ち、個人崇拝や多神教とも見なされうる聖者廟やそこでの儀礼、また支配者の権勢を誇示する豪華な装飾のモスクの類がサウジアラビアでは忌避されてきたからである。以上は中世のイスラーム王朝及び文化を土台とし、これを名所とする周辺中東諸国と比べた、サウジアラビアの観光政策におけるディスアドバンテージだと言うことができよう。
こうした事情から、サウジアラビアにとってマダーイン・サーリフをはじめとするイスラームと無縁の遺跡群は、自国の文明的な豊かさを顕示する材料となりつつ、これに光を当てても国是である「純真なイスラーム」を犯さなくて済むという利便性を兼ね備えた、貴重な存在なのである。そしてこれらの観光資源化は、サウジアラビアが本来であれば劣った時代と見なすはずのジャーヒリーヤ(イスラーム前史)を掘り起こし、再評価するという大きな転換を意味する。近年、金沢大学を中心とした日本の考古学研究チームがサウジアラビアとの研究協力を積極的に進めているが[4]、サウジアラビア側にとってこれは決して学術上の関心のみに基づいたものでない。
なお余談ながら、古代ナバテア人の遺跡マダーイン・サーリフと聞いてもピンとくる日本人はほとんどいないだろう。しかし同遺跡が世界遺産に認定される8年も前、日本のゲームソフト開発会社スクウェア(現スクウェア・エニックス)の『ファイナル・ファンタジーIX』に、「マダイン・サリ(Madain Sari)」という滅びた都市が登場している。語感に加え、滅びた都市という点からも、その名がマダーイン・サーリフに因んでいる可能性は極めて高い。筆者の記憶によれば、マダイン・サリは同作品のストーリーの核心に関わる重要な場所だ。ビジョン2030を通じてサウジアラビアと日本の間ではゲーム産業のコンテンツ開発でも協働が進んでいるようだが、マダイン・サリはもしかするとそうした縁の原点かもしれない。
建国記念日(1727年2月22日)の制定
もう1つ、サウジアラビアの変化を語る上で重要な世界遺産がある。2022年1月、長い修復工事を終えて一般公開が始まったディルイーヤ(トゥライフ地区)だ。これにあわせてサウジアラビア政府は「建国記念日」(Founding Day/yaum al-ta’sis)の制定を発表した。ディルイーヤといえば、先述の通りそこはイブン・サウードとイブン・アブドゥルワッハーブが1744年に盟約を交わした場所である。いわばサウジアラビアの始まりの場所であり、従来はこれが同国の第一次王国(現在は第三次王国)の起点とされてきた。しかし建国記念日は、これに先立つ1727年をサウジアラビアの始まりとする。1727年2月22日はイブン・サウードがディルイーヤの首長に即位した日であり、突然の記念日制定にも根拠がないわけではない。ただし記念日制定には、現在の変化に即した幾つかの重要な思惑が見て取れる。
まずもって、世界遺産であるディルイーヤに改めて由緒、言い換えれば観光資源としての付加価値を与えることだ。さらに言うと、1727年を建国年と設定すれば2027年に建国300年というメモリアルイヤーを迎えることになる。1744年を起点とすれば2044年まで待たなければならなかった建国300年を前倒して迎えるわけだ。3年後の大団円を見据えたビジョン2030にとってはちょうどよい前夜祭と言えるだろう。
なおこの点は、周年をヒジュラ暦と西暦のどちらかで換算するかという問題がある。以上の300年は西暦換算だが、より短いヒジュラ暦で換算しても1744年を起点とすれば建国元年は2035年となり、やはりビジョン2030の前夜祭とはならない[5]。
写真2:建国記念日を祝う広告。「我々が旗を掲げて3世紀」と書かれている。(2024年2月20日、リヤドにて筆者撮影)
しかしより興味深いのは、こうした新たな建国史理解においてイスラーム的性格が薄まったことである。建国記念日以外にも、サウジアラビアには国家記念日(National Day/yaum al-watani、2005年制定)と国旗記念日(Saudi Flag Day、2023年制定)という2つの非宗教的な祝日がある。これら2つと比べた建国記念日の特徴は、純真なイスラーム社会の形成を目指して旗揚げした、1744年の政教盟約を起点とする従来の建国神話を塗り替える試みである点だ。この結果、政教盟約を交わした片方で、建国の思想的基礎であるイブン・アブドゥルワッハーブは、ともすれば建国史の後景へと追いやられることになる。建国記念日は観光政策、ナショナリズム形成、国史理解の刷新の3つが連動したものだと言える[6]。
もっとも、従来の建国史において1727年2月22日はほとんど言及すらされてこなかった。試みに、サウジアラビア史に関する現地の入門的な書籍を幾つか見てみると、1727年に言及するのは建国記念日制定後に刊行されたものに限られる[7]。また本来なら即座に対応しなければならないはずのリヤドの国立博物館にも、2025年7月時点でサウジアラビア史の元年を1727年とする展示は一切なかった。建国記念日の制定が突然の歴史修正であり、3年以上が経過しても周囲がじゅうぶん対応できていない様子がうかがえる。
おわりに
観光政策が経済政策を越え出て、国家の政治方針やナショナリズムの強化といった機能を持ちうるのはサウジアラビアに限った話ではない。それでも冒頭に述べた通り、サウジアラビアの観光政策は現政権の一時的な公約実現や支持獲得の手段としてではなく、長く語られてきた、しかもサウジアラビア側もそれを矜持としてきたイスラーム社会としての国家像を変えつつある点で注目に値する。ただし、それを直ちに同国の脱イスラーム化と評価するのが早計であることもすでに述べた。端的に言えば、政府は社会の合理化を包摂する「穏健なイスラーム」という標語でもって、一見して相対するものと映る脱イスラーム化とイスラーム化の両立を目指している[8]。
もっとも、いかなる標語でもってしてもイスラーム化では括れない変化もある。2024年、リヤドの外交団地区に国内初となる酒販店が誕生した。酒類の販売や流通を取り締まることで守られてきた純真なイスラーム社会の1つの側面が放棄された形だ。とはいえ、2025年7月時点でこれはムスリム・マイノリティ国の外交官のみがID登録の上で利用可能であり、一般市民への販売は依然許可されていない。ムスリムに酒類を販売しないという一線を守りつつ、非ムスリム相手の、しかも一定の消費が見込まれるビジネスを国営化したというのが実態であろう。
観光政策を含め、サウジ・ビジョン2030を通じて進む一連の変化は、市場重視の合理性に基づいた改革である点、若年層を人的資本として活用する点、さらには国家が与えた「開放」の機会の波に乗る個々人を称揚している点などから、新自由主義の一種と評価することもできよう。ただしサウジアラビアの場合、市場が従うのは法や契約、また個人や公益というより権力である。経済成長の方向性を決定、指示するのは政府であり、市場の側に原則として選択権はない。市場の原理は政治的な忠誠にあり、これを欠いた経済成長が果たされることはなく、またこれを導かない規制緩和が政府の側からなされることもない。こうした政府の強力な介入は、新自由主義とは一般的に相容れないものだ。言い換えれば、観光政策の展望はサウジアラビア体制の現在と未来を占う奇貨となろう。
写真3:外交団地区にある酒販店の外観。看板などは一切ない。(2025年7月16日、リヤドにて筆者撮影)
[1] マックス・ヴェーバー『社会学の根本概念』清水幾太郎訳、岩波新書、1972年、39頁。
[2] 資源の呪いとは、天然資源が豊富なせいで他の産業が育たない、政府の独裁や腐敗が進む、ジェンダー・ギャップが大きくなるなどの弊害が生じることを指す経済学の理論である。マイケル・L・ロス『石油の呪い−−−−国家の発展経路はいかに決定されるか』松尾昌樹、浜中新吾訳、吉田書店、2017年。
[3] 高尾賢一郎『サウジアラビア――「イスラーム世界の盟主」の正体』中公新書、2021年、18〜20頁。
[4] https://isac.w3.kanazawa-u.ac.jp/report/report_20240625.html
[5] なおサウジアラビアには現在の第三次王国のアブドゥルアジーズ初代国王によるリヤド制圧(1902年)を起点とする国史観もあり、これを起点とした建国100周年を1999年に祝ったこともある。
[6] Anna Viden. “The New Saudi Nationalism,” Mark C. Thompson and Neil Quilliam (eds.), Saudi Youth: Policies and Practices, Springer, 2024, p. 17.
[7] 参考までに確認した書籍を以下に挙げておく。‘Abd Allāh al-Sāliḥ al-‘Uthaymīn, Buḥuth wa-ta‘aliqat fi ta’rikh al-Mamlaka al-‘Arabiya al-Su‘udiya, Maktaba al-Tauba, 1990; Mufid al-Zayyidi, Mawsu‘a ta’rikh al-Mamlaka al-‘Arabiya al-Su‘udiya: al-hadith wa-l-mu‘asir, Dar Usama, 2004; Madiha Ahmad Darwish, Ta’rikh al-Dawla al-Su‘udiya hatta al-rub‘ al-awwal min al-qarn al-‘ishrin, Dar al-Shruq, 2005; Fayṣal ibn ‘Abd al-Rahman ibn Mu‘ammar, ‘Abd al-Karim ibn ‘Abd al-Rahman al-Zid, Fahd ibn Sultan al-Sultan eds., Mawsu‘a al-Mamlaka al-‘Arabiya al-Su‘udiya, vol. 1, Maktaba al-Malik ‘Abd al-‘Aziz al-Amma, 2005; ‘Abd Allah al-Salih al-‘Uthaymin, Ta’rikh al-Mamlaka al-‘Arabiya al-Su‘udiya, al-‘Ubaykan, 2019; Mubarak Muhammad al-Ma‘bdi al-Harabi, Muhadarat fi ta’rikh al-Mamlaka al-‘Arabiya al-Su‘udiya, Khawarizm al-‘Ilmiya, 2019; Khalid ibn ‘Abd Allah al-‘Ubudi, Mawlid umma: Kaifa kunna wa-kaifa aṣbahu-na, Maktaba al-Malik Fahd al-Wataniya 2019.
[8] 詳しくは別の拙稿を参照されたい。高尾賢一郎「現代ムスリム社会から考える宗教と風紀−−−−二分法を超えた規範理解に向けて−−−−」『宗教研究』98巻2号、2024年、107〜130頁。https://www.jstage.jst.go.jp/article/rsjars/98/2/98_107/_pdf/-char/en








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