中東かわら版

№111 カタル:ハリーファ元首長の死去

 10月23日夜、カタルの王宮府は、ハリーファ元首長(84歳)が死去したと発表した。死因等の詳細は明らかにされていない。タミーム首長は、三日間の国喪を宣言した。

 ハリーファ元首長は、サーニー家の8代目の統治者として、1972年から1995年までの23年間、国家元首の地位にあった。初代統治者であるサーニーから数えて6代目の世代にあたる。従兄弟のアフマドが1960年に首長の地位に就いた際に皇太子兼副首長に任命されたものの、アフマドが外遊でイランに行っている間に宮廷クーデターを起こし、1972年、首長に就任した。内政では行政機構の拡大など国家の近代化を進め、豊富な埋蔵量を誇るガス田の開発にも着手した。1995年には、スイス訪問中に息子のハマド皇太子に宮廷クーデターを起こされ、権力の座を追われることになった。関係の深かった湾岸諸国の協力を背景に復権を模索したものの、その試みは成功することはなかった。2004年にはハマドとの和解が成立し、カタルに帰国していた。

 

図:サーニー家系図

出所:筆者作成

 

評価

 カタルへの帰国後、ハリーファの動静が報じられることはほとんどなかった。ハリーファを追放したハマドが政治的な実権を握っており、そのハマドも2013年に息子のタミームに譲位をしたことから、帰国後のハリーファに政治的な役割や影響力はほとんどなかったと推測できる。アフマドからハリーファ、ハリーファからハマドと、二代続けて宮廷クーデターが起きていたカタルでは、王族間の権力争いを懸念する声もあったが、ハマドが息子のタミームに早い段階で譲位したことで、その後の世代交代は順調に進んでいると見る向きもある。

(研究員 村上 拓哉)

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